1000mを超す標高にブラウントラウトの産卵を観に行った。

正確に言うと観たかったのはサクラマス類の遡上魚だったがその気配はすでになく、結果として私が知る限り最も早いタイミングでブラウンの産卵を観ることになった。

基本的にサケマスの仲間はメスが川底を掘って産卵床を造り、そこで雌雄が並んで産卵・放精を行う産卵様式を持っている。その間にメスとペアになったオスは他のオスを追い払ったり威嚇したりしながらメスを独占しようと試み、メスはペアのオスに震える体をこすりつけられながら(求愛行動と考えられている)産卵床の掘り起こしをうながされる。

いわゆる「サケ」と呼ばれるシロザケも、カラフトマスもイワナもヤマメも、サケマスの仲間はいずれも似たような産卵行動を見せるが、よくよく観察すると、種ごとに少しずつ違った雰囲気を持っていることに気づく。

ブラウントラウトの場合は、私が感じるのは「多回産卵の余裕」だろうか。

一生に一度の産卵はサケでは良く知られており、カラフトマスや一部例外はあるがサクラマス類も同じ。生涯一度きりの産卵を終えると命を閉じる。そこに多くの人は命のドラマを見るのだろう。

対してイワナやイトウ、それにブラウントラウトは多回産卵だ。今年産卵・放精をした魚が次の年もまた同じことを繰り返す。水辺カメラマンの知来要さんが、同じイワナのオスと毎年、同じ小さな沢の水中で顔を合わせる話は大好きな物語のひとつだが、それもイワナが多回産卵だからこそ。

生涯一度きりの産卵であるシロザケやカラフトマスが、遺伝子にプログラミングされたような貫徹さとわずかな焦燥感を感じさせるのに対し、ブラウントラウトの産卵行動はもう少し悠長で個性が立っているようにも見える。

雌雄のペアがそろって遡上しながら産卵適地を探す様子や、メスが単独で上流へ下流へと行ったり来たりフラフラしながら僅かな伏流水を探している姿は、シロザケやカラフトマスのイメージとは異なる。

少しだけ水中撮影も試みた。

警戒心は高い。そしてこの日は雨が降っていた。

すでに産卵行動を始めている魚たちを乱すのはやめにして、すでに産卵床として利用されていた淵尻の川岸に寝そべり、下流から上ってくるブラウンを待った。

カケスの騒がしい掛け合いとオスジカのラッティングコールを時折聞きながら、ミズナラの枯れ葉舞う川辺で1時間半ほど待つと、小さなブラウントラウトのおそらくはメスが一匹、レンズの遠目に現れた。

ファインダー越しにじっくりと観察していると、ひとり尻ビレで川底の具合を確かめながら2、3度掘り起し行動を見せてくれた。その後は15分間ぐらいだろうか、時折、大きなアクビをしながら、ただ一カ所にたたずんでから、そのまま上流へと去ってしまった。

寝そべったままの体を起こすとギシギシと関節が音を出した。

冷たいコーヒーとあんぱんを食べて「ああ、やっぱり難しいなー」とひとり言を発し、川音に消されるその声を聞いて、自分の中での目的が達せられたと思い、安心して、もう少しブラウントラウトを探して歩いた。〈若林〉□

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