外は暖かいのに、我が事務所は寒い。 なぜなんだろう?‥そんな本日。事務所作業をしながら、このところぼんやりと考えて続けているのはサケのことです。 ここ数年、日本へのサケの来遊数が減り続けているとのこと。 北海道区水産研究所の「さけます来遊速報」によると、12月末までの全国の来遊数は1966万尾。平成以降(1989年以降)最も少ない結果だとのことです。来遊数とは沿岸漁獲数と河川捕獲数の総数です。 大部分を占める北海道で1756万尾。これは平成(1989年)以降では2番目に低い数字ですが、最も少なかった2年前も同じ水準です。 ちなみに北海道に限ると、最も多かったのは2004年(平成16年)で6057万尾ですから、2019年度の来遊数は最盛期の3分の1以下となります。 専門家によると、減少の大きな理由は温暖化による幼魚時の減耗や成長悪化によるとのこと。そしてこの傾向はこの先もしばらく続く(もしくはもっと悪くなる)だろうとも。 ちなみに北海道の1756万尾という数字、平成という時代でみれば最低水準ではありますが、昭和までさかのぼってみると、どのようなものかと言えば、この水準に達したのは概ね1980年前後なんですね。 それ以前の北海道のサケ来遊数は、明治初期(1870年頃~)からほとんどが1千万尾未満で推移しています。 つまり「平成で最低レベル」言われる1756万尾は、明治時代からの傾向で言えば、そこまで悪くない数字、とも言えます。これはまず知っておきたいところです。 では、1970年代後半から2004年のピークを迎えるまでの増加傾向の原因はなんだ?と言えば、北半球の気候もプラスに働いたとは言われてますが、もうひとつ大きな影響はやはり人工ふ化事業が軌道に乗ったことでしょう。 それ以前の明治期や江戸時代に行われていた増殖は、村上藩の三面川で1762年にはじめられた「種川の制」を発端とする「種川」です。 種川とは、川の漁獲を制限しながら河床環境を良好に保ち、サケの自然繁殖を促す増殖法です。 東北や北海道各河川でも明治初期まで広く採用されたそうです。 江戸時代から明治初期までの来遊数は勉強不足につき、たどれてはいないのですが、結果として、それまでの種川に取って代わって人工ふ化事業が広く採用されるようになってから、数十年を経て、爆発的とも言える来遊数の増加という「成功」を見ることになります。 一方、この「成功」と平行する形で、サケが従来‥それこそ人類が定住するよりも以前から自然繁殖を行ってきた母なる川は、開発が進み、水質も悪化していきました(←かなりざっくりとした流れとして。場所ごとの違いはあります)。そもそも各河川にふ化場が作られることで、戻ってきたサケの大部分は自然産卵を行う前に捕獲され、自然繁殖の機会自体が激減しました。 それまで「自然選択・性選択」の結果としてつないでいた次世代へのバトンを、人間が間に入りコントロールするようになりました。 いわば「自然」が選別していた仕事の大部分なのか何割なのかを「人間」が担うようになったというわけです。 大任です。 それでも来遊数で言えば、上手く行っていたのでしょう。
振り返り、2019年度の北海道の1756万尾、全国の1966万尾をどう見るか。 長い目で見て、どうなのか。 上手くやってきたはずなのに‥事態は深刻、なのだろうか? これまでが、たまたま上手く行きすぎていただけなのだろうか? 短いスパンで考えるならば、それを生業としている漁業者にとっては死活問題です。深刻です。 でも、その対策を考えるにあたっては、きっともっと長いスパンで考える必要があるのでしょう(と言いますか、大きな船の舵を切るような話ですから、もうすでに色々と対策は練られているのでしょう)。 とある専門家は、その長いスパンで考えた際の解決策に「産卵河川環境の改善」や「自然繁殖の促進」を上げています。 人間が請け負っている、次世代へのバトンの受け渡しという「大任」を、少しずつ自然に返していこう‥という試みのように思えます。
果たして今後はどうなるんだろう。 各地のサケ食文化はどのように変質していくのだろう。 変化が来るとして、各地はどう抗うのだろう。 日本の水産業はどうように舵を切るんだろう(切っているのだろう)。 小さな私にもできることは‥? そんなことをぼんやりと考えています。〈若林〉□
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