本日もまあまあ暖かな一日。 今年こそは事前に対策を‥と毎年思いながら、シーズン半ばまで我慢して、シーズン半ばから後悔しつつも、あともう少し、あともう少しと、結局ひどいことになりながら春を呪う。 ‥あ、花粉症の話です。 さておき。 昨年の暮れにイノシシの足跡をたどったのを発端に、川を歩きながら動物たちの足跡を探すことが癖になってからというもの、川の見方が少し変わったような気がします。 いえ、「見方が変った」というよりも「見方が加わった」という感じ。 それを簡潔に言えばこうです。 「川は回廊である」 これは日々、私が歩いている都市近郊型河川において、とくに言えることなのかもしれません。 回廊にはいくつかの意味がありますが、なかでも回廊地帯とも言われるこれが、イメージに近い気がします。 回廊。かいろう。他国と隣接した廊下状の細長い領土。 たとえば事務所前の「潟」は住宅地を貫く三面護岸のどぶ川。そこを夜な夜な、タヌキの夫婦が歩いています。 彼らはどこからやってきて、どこに行くのだろう。 ちなみに潟の片方は田んぼで、もう片方は川に繋がっています。 田んぼにいくには腹まで水に浸かる地下廊をだいぶ歩かなければなりませんから、おそらくは川からくるのでしょう。 川の周りにはススキやアシ、セイタカアワダチソウなど、枯れ藪があるにはありますが、とてもタヌキが寝ぐらにするような隠れ家はありません(ないような気がします)。そして基本的に周囲は住宅地です。 ですが、その、暮れにイノシシが数キロも疾走した川を辿ると住宅地に挟みこまれたように田畑や林、荒地が残っています。おそらく‥ですが、タヌキは回廊である川を辿って、寝ぐらと餌場(水場)を行き来しているのではないか‥なんてことを考えています。 これは鳥を観ていてもあまり思わなかった感覚です。 なぜなら鳥は飛べるから。 川で狩りをするオオタカは遠目に見える森へと帰っていきますし、カワウはきっといくつかの川を一日のルーティンを決めて回っているはずです。人が急に近づいてきても飛んで逃げればいいわけですから余裕があります。 ですがタヌキともなると、地面を歩くしかありませんので、まず人目を避けねばなりません。 この辺りでは、林や荒れ地など棲家となる場所は小さく限られています。 そこから季節ごとに食べるものを探して移動したり配偶者と出会うために、回廊としての、「彼らの領土」としての川の役割は、実はとても大きいものなのかもしれません。 事実、タヌキの足跡が多い川辺は決まって側に田畑や林、荒地が隣接しているところです。 ところで‥「多面的機能」とは、最近よく耳にするキーワードです。 たとえば農地の多面的機能と言えば、作物を収穫するだけでなく、洪水時の水がめになるとか、体験学習の場になるとか、水田が夏の暑さを和らげるなど‥。 川辺や河川敷も似たようなもので、洪水時に役立つとか憩いの場になるとか自然学習の場になるなど‥。 「川の国」を自称する我が埼玉県では、ここ近年、河川敷地を商業利用していこう!・・みたいな声が強いというか、県を挙げてのそのようなプロジェクトがあるようでして、それはそれで多面的機能の活用ということなのでしょう。川辺のバーベキューとか楽しいですし、ビアガーデンとかあったらやっぱり飲みたい‥。 その一方で、回廊としての「彼らの領土」も少し残しておこうか。別になんでもかんでもきれいに整備しないで放っておく所も残しておこうか。そこをタヌキが夜な夜な歩いているなんて考えると、なんだかうれしい気もするじゃないか‥みたいな。ほらそこ、タヌキの通り道だよ。ほらそこは、タヌキのトイレだよ‥。 そんな目に見づらくささやかなれど人の心に作用するかもしれない機能もまた、都市近郊河川利用のひとつだよね。 そんな賛同を、この川の国で得られないものでしょうか。〈若林〉□
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