本日2回目のブログアップとなります。いえ、決してヒマなわけでは…。

少し書いておきたいことを思い立ち、キーを叩いております。

2016年に、初めての自社出版物として発行した『RIVER-WALK First Issue』と、このたび2021年12月に発売された『武蔵野発 川っぷち生きもの観察記』(山と溪谷社)。

どちらも「川」を扱った本になりますが、『RIVER-WALK』は川の中でも上流域の山里にある「渓流」を扱った一冊(現在、Vol.3まで出ています)、対して『川っぷち』は武蔵野台地の平野部を流れる「都市近郊河川」が舞台です。

こちらが渓流。渓流はとても自然度の高い空間で、木々や草花、虫や魚、鳥にケモノなど、生きものやその痕跡に溢れています。

一方の都市近郊河川はこんな感じです。周囲には住宅が立ち並び、川辺の木々も切られ極めて人工的な空間です。渓流に比べると、私の目に見える生きものやその痕跡はとても少なく限られています。

渓流やそこでの釣りを好む人たちの多くは、渓流特有の自然溢れる美しい環境に惹かれているのではないでしょうか。『RIVER-WALK』のテーマは「川時間」そして「釣るだけじゃない釣りの本」というものです。

そもそも『RIVER-WALK』をつくりたいと思ったきっかけは、それまで長らく釣り雑誌のライターとして様々な釣りの取材をさせていただいてきたなかで、この人はすごい…と思う釣り人の方々がこぞって同じような言葉を発していたためです。それは次のような言葉。

「釣りの一番の魅力は自然との一体感で、自然と触れ合うことにある」

もちろん、そう思っていない達人の方もいるでしょう。でも私の琴線に触れたのはそこでした。そしてこのように考えたのです。

釣りをやり続けて行き着いた達人達が語る幸福の境地に、釣りをそんなにやらずとも至ることはできないものだろうか?と。

そんな「川時間」に浸る喜びを表現してみたい。『RIVER-WALK』はそんな想いで生まれました。

 

一方の『川っぷち』はと言いますと、仕事場のすぐ近くの川をウォーキングしながら目にした身近な自然を綴ったものです。こう書くと実にさらりとしたものですが、実際に歩きながらの観察を続けていると、自分の中にある変化が生まれたんですね。考えてみると竿を持たずに川を歩いたことってあまりなかったなーと。そして竿を持たないが故か、それまでな気にもとめていなかったカモやサギ、カワウなどの鳥たちに目がいきました。

『川っぷち』でも最終章に書きましたが、私の自然観察のコツは「自分が興味を持っている生きものと関係のある生きものを知っていく」ことです。例えば川ではナマズやシーバス(スズキ)を釣っているのですが、彼らを食べる者はなんだろう? また彼らに食べられるものはなんだろう?というような関係性です。ナマズやシーバスを食べる者は多くないかもしれません。一方、彼らに食べられる者といえば、アユやイナっ子(ボラの幼魚)、それにオイカワやウキゴリなどでしょうか。いわゆる小魚です。

それら小魚を食べているのはナマズやシーバスなどの魚食魚だけではありません。水辺の鳥で言えば、コサギやダイサギ、アオサギなどのサギ類に加え水の中に潜って襲いかかるカワウも、小魚を食べています。

つまり、私が釣りで馴染んでいたナマズやシーバスと、川でよく見るコサギやカワウは「同じ小魚を食べている」という関係性を持っています。そう考えるとコサギやカワウにとても親近感が湧くんですね。友達の友達は皆友達…みたいな感じ?

このように興味のある生きものが増えていきました。すると、これまで同じように川を歩いていても、馴染みのある生きものがたくさんいますから、見え方が違ってくるんです。同じ川辺を歩いていても、以前と今とではだいぶ見え方が変わっています。大阪の繁華街を歩くおっちゃんが、出会う人出会う人に「よっ」「まいどっ」と声をかけまくっている感覚でしょうか。そんな風になっていったんです。

話がまとまらずに長くなりました。もう少し・・。

そんな感じに主に秋から春にかけて都市近郊の川っぷち観察を楽しんだ私が、渓流釣りの解禁を迎えて山奥の渓流に行くわけです。すると、そこに展開されている自然の豊かさに圧倒されるんですね。なんというか、あっちにもこっちにも目が行って、興味の対象が多すぎて目が回る感覚です。

この感覚は一度過去にも体験していました。それは北海道の川に潜った時のことです。私は水中での魚達の観察(や撮影)も趣味にしているのですが、普段見ている関東の川に比べ、その北海道の川は魚の数がめちゃくちゃ多く、目の置き場に困るというか、どこも見所ばかりで目が回ってしまったんです。そんな感覚に似ています。

話は戻り、そんなわけであっちも気になりこっちも気になりと・・今では渓流釣りに行っては同行者を困らせるほどの超スローペースな歩みに・・。果たしてこれが目指していた状態なのかどうかはわかりませんが、少なくても楽しい。釣れなくても楽しいのは確かです。主菜が釣果だとすれば、副菜でもうお腹いっぱいみたいな感じ?

おそらく・・ですが、渓流釣りの達人の方々は、この楽しさを享受しながら、ハイペースで釣りをするだけの視線の広さと速さを、長年の経験で体得しているのではないでしょうか。私も達人のように?自然を楽しむ術は手に入れた気がしますが、なにぶん即席なので、いかんせんペースが遅い。でも、とても楽しいです。

果たして、このブログで何をお伝えしようとしていたのかを見失いつつありますが、もう少し・・。

渓流の自然と都市近郊河川の自然をともに楽しみながら、私がひとつ知ることのできた楽しみ方のコツをお伝えしたいなと。そう、そのことを伝えたくてキーを叩き始めたのでした。それは・・

「シーンは各々の目前に現れる」

ということです。

自然というのはめちゃくちゃ懐が深く、詳細にみていけばどこまでも詳細に見ていけますから、すべてを見ようとしてもキリがないんですよね。おそらく都市近郊河川の川っぷちで私が体得したのは、渓流の川歩きよりも詳細な視点なのだと思います。都市近郊河川は自然度が比較的低いから、そのぶん細かく見ていけると言いますか・・。ただ、その視点で渓流を見ていくと、あまりにも情報量が膨大すぎて全然前へ進まないと・・。もう少し分かりやすい例で言えば、歩いて見える景色と自転車に乗って見える景色は違う、ということです。別の言い方をすれば・・

「すべてを見ることはできない」

このことを意識として持つことで、釣りもそうですが、自然観察もとても楽しくなるのではないかと思っています。

では、見えているシーンとはなんなのか?

それこそが各々の目前に現れたその人だけのシーンなのです。

その自分だけのシーンを楽しむ・・というか愛でることができれば、どんな環境でも釣りだったり観察だったりが今よりもっと楽しくなるんじゃないかなと。そんなことを思うに至りました。

その上でシーンを仲間と共有したり、書物や写真でシーンを借りて思いを深めたり、自慢したり、嫉妬したり、そんなことも楽しむと。

でも底にある基本は自分だけのシーンを愛でること。それが釣りや自然観察を楽しむコツのひとつなのではないかと考えています。

ここまで長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。〈若林〉□

 

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