今日は一日どんよりとした曇り空。 隔月刊のシーバスのルアーフィッシング専門誌『シーバスライフ』の編集作業が大詰めを迎えております。天候不順もあり遅々としているわけですが、それでも締切は迫っています。 先日の大雨が呼び水となり、川では遡上してきたと思われるシーバス(スズキ)がポツポツと釣れています。 愛しき銀鱗。海と川を行き来する両側回遊魚。 東京湾のシーバスは、暮れから年明けにかけて富津あたりの湾口部に集まって産卵すると言われていますが、いま川にいるシーバスの中には、これから寒くなるにつれ海に降って、富津辺りまで泳いでいくのだろうか‥と思うと、何とも言えない気持ちになります。 この時期の遡上魚・回遊魚といえば、サケ・マスの仲間。 なにせ回遊のスケールが違います。シロザケなどはオホーツク海に留まらず、北太平洋やベーリング海まで出向く大航海の末に回帰してきた魚たちですから‥。 こちら先日、行ってきた新潟県村上市のイヨボヤ会館にある水槽。三面川に遡上してきたサケのうち数匹をこの水槽に運んでくるのだそうです。ガラス一枚隔てた向こうでは、オスが身体を震わせてメスに求愛を行い、メスは身体を波打たせて産卵床を掘っており、間近で観察することができます。 こちらは三面川に設置されたウライ(ヤナ)。この時はまだ漁期ではありませんでしたので、ウライは立てられておらず、雨などで増水すると、サケは川を遡上できる状態でした。漁期に入るとウライは完全に立てられて、これ以上サケが川を上ることはできなくなります。漁期の間は、この下流域で伝統的なサケ漁の居繰り網漁やテンカラ漁が行われますが、それを逃れたサケも、この一斉捕獲の罠であるウライによって捕らえられることでしょう。 実は日本国内では、サケの遡上する多くの川で、このような一斉捕獲のためのウライが設置されており、そこで捕らえられたサケは人工ふ化事業に基づき、人の手によって増殖されるのです。 これはホンマスという中禅寺湖にいるサクラマスの仲間です。 メスが川底の産卵床を掘っているところです。 そしてこちらは産卵期を終えて死にゆく新魚と、その幼魚。 このようにひとつの命が土や水に帰り、その養分が子孫となる稚魚や幼魚が食べる川虫などにつながっていくという‥。命の循環ですね。 三面川の支流でも、そんな命の循環の一幕を観ることができました。 傷だらけになり水カビだらけ。 この姿を痛々しいとみますか? 私はこの姿に安息を感じます。 長い旅路の終着を迎えた姿ですから。
日本のサケの多くは人にコントロールされています。 それにより私たちは美味しいサケを食べることができます。 時々、人工ふ化放流が技術的に成立しなかったら日本のサケやマスはどうなっていたのだろう?と考えます。 古来より長い長い間、深く食料として人間と関わってきたサケやマスは、人工ふ化放流がなかったとしたら、人口増加と過剰漁獲の末に姿を消していたのでしょうか? それとも誰かがどこかでなんとかせねば‥と呼びかけて、人工ふ化放流に代わる、たとえば三面川の種川制度のような増殖の術と漁獲制限によって、サケやマスは細々と命をつなぐことができたのでしょうか? ただ、それが人工ふ化放流であろうがなかろうが、人ができるコントロールの範囲って、サケやマスにとっては一生のうちのひと握りなんですよね。 海洋に出ている多くの期間は、まだまだ人間のあずかり知らぬ領域なのです。 そしてサケやマスが、これから先も変わらず海から戻ってきてくれるのかどうか。それも実は人間のあずかり知らぬ領域だよな‥と考えます。 ここでひとつ信頼したいのは、サケやマスが、少なくても数万年前の縄文時代から人とともに暮らしてきたという時間が積み上げた実績。 ここ最近の数万年大丈夫だったんだから、この先、数千年ぐらいはきっと大丈夫でしょう‥という打算。 ところがここ最近の数百年で人間はサケやマスを、そして自然環境も大きく変えてしまっているわけですから、悠久の時により積み重ねてきた実績は、さほどの担保にはならないのではないか?‥と思うわけです。 古来の人々は、自ら一定の時期に大量に遡上して食料となってくれるサケに感謝の祈りを捧げたと言います。 もちろん現代は食料をサケに依存しているわけでもありませんので、その切実さは比べられるものではありません。 でも(私のように)サケやマスが大好きで、いなくなるとだいぶ困ってしまう‥という人は、今の時代こそ、川に戻ってきたサケやマスに感謝の祈りを捧げるべきなのかも‥。 そんなことを悶々と考える秋の夜長でございます。〈若林〉□
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