先日、ツイッターで、私的にとても気になるツイートを目にしました。

ツイッターをしていると、なんでもかんでも当事者のように感じてしまい首を突っ込みたくなる傾向があるかと思いますのでそこは注意が必要なのですが、この週末、ぼんやりと常に頭の隅から離れなかったこともあり、これを機に常に考え続けている私の思いも含め、書いてみたいと思います。

ツイートは生態学や外来種などの研究をされている専門家によるものでした。

誤解を生じないように初めてにお断りをしておきますと、私はこのツイートをされた方の上げ足を取りたいわけではありません。むしろ、自分の興味のある分野における専門家の立場としての発信に、多くのことを学ばせていただいています。

ですが‥というよりも、だからこそ、今回のツイートを見て、少なからずショックを受けました。

それは「以前にに講義で使うために描いた模式図『バスプロショップの生態系ピラミッド』というツイートです(ちなみに「バスプロショップ」とは一般的に、ブラックバス釣りの道具を専門に売る店のことです)。

生き物に関心のある人ならば「生態系ピラミッド」という言葉は聞いたことがあると思います。ネット辞書から、ほぼ同じ意味で使われていると思われる「生態的ピラミッド」の説明を一部を引用させていただきますと・・

「一つの生物群集の中で、食物連鎖(食う・食われる)の関係にある生物種の個体密度を比較すると、一般に食う動物は食われる動物より少ない。こうした関係を図にして栄養段階の低いもの(食われる方)から高いもの(食う方)へと順次積み上げるとピラミッド型となる。」

とあります(コトバンクより引用)。

 

稚拙な絵ですが、こんな感じです。そこにいる高次消費者(肉食性の動物)が存在するには、その背景に、さらに多くの量の第一次消費者(植物性動物)が必要だし、その量の第一次消費者が存在するには、さらに多くの量の生産者(植物)が必要である、といった、いわば生態学の基本です。

今回、私が気になったツイートでは、そのピラミッドの頂点から順に、このように描かれたものでした。

〈1軒のバスプロショップ〉

〈顧客になるバス釣り人〉

〈釣り人に釣られるブラックバス〉

〈ブラックバスに食われる在来生物〉

つまり、

①〈1軒のバスプロショップ〉が存在するには、それよりも多くの〈顧客になるバス釣り人〉の存在が必要。

②そしてその数の〈顧客になるバス釣り人〉が存在するには、さらに多くの〈釣り人に釣られるブラックバス〉の存在が必要。

③そしてその数の〈釣り人に釣られるブラックバス〉が存在するには、さらに多くの〈ブラックバスに食われる在来生物〉が必要。

という解説図です。

ツイート図のピラミッドの裾野である〈ブラックバスに食われる在来生物〉の部分は、画像枠に収まりきれないほど広がっていて、ブラックバスは実に多くの在来生物を食っているというイメージが伝わってきます。

なるほどこの図には何も間違いはないのでしょう。上の①~③に異論を唱える人はいないと思います。

本日9時25分の時点で、4,242件のいいねがついて、1,817件リツイートされているこのツイートは、多くの方にどのようなメッセージとして受け止められたのでしょうか。

あくまでも引用ツイートや、関連ツイートに付いたリプライ(コメント)からの私の推測にはなりますが、最も多くの受け止められ方としては「ブラックバスという魚は、これだけの在来生物を食べてしまうのだな。1軒のバスプロショップが存在する背景には、これだけの在来生物がバスに食べられているという事実があるのだな」ということではないでしょうか。

これだけなら、あらためてブログにまで書くようなことはなかったと思います。事実ですから。ただ、この図にはもう一文、どうしても私の頭から引っかかって離れない言葉がつけ加えられていたのです。

〈一軒のバスプロショップが経営を成り立たせるためにはその地域の莫大な野生生物資源を消費する〉

というものです。

この文をそのまま読めば「バスプロショップがお店を続けていくために、地域の莫大な野生生物を消費している」と受け取れます。あたかも地域の莫大な野生生物を消費している主体がバスプロショップであるかのような書き方です。細かいところなのかもしれませんが、私にはとても強く引っかかりました。

1軒のバスプロショップがなくなったからといって、ブラックバスに食われる在来生物が減るわけではありません。その地域の莫大な野生生物資源が消費されるかどうかは、1軒のバスプロショップの経営がなりたつかどうかにかかっているわけではないのです。

〈一軒のバスプロショップが経営を成り立たせるためにはその地域の莫大な野生生物資源を消費する〉

専門家の方がこの一文とともに、「講義で使うため」の図と紹介すれば、少なからぬ人が「バスプロショップがお店を続けていくために、地域の莫大な野生生物を消費している」という印象を抱くのではないでしょうか。

後にこのツイートをされた方は、次のようにもツイートされています。

「バス釣りに対する悪印象を植え付けることを目的とした模式図ではなく、元々は講義の中で1980年代以降のバス釣りブームによる商業主義化の説明をしていて、バス釣り専門で生活できることを可能にするためには何が必要か、という話で使っています」

「個々の釣り人がバス釣りを楽しむということよりも、バサーがたくさん存在しなければ成立しえないバスプロという職業やバス釣り専門誌を作って市場の巨大化を図ったことに大きな問題がある、と私は理解していて、そのための説明の一部です」。

おそらく講義では、この図が誤解を誘うことにはならないと思います。ツイッターでも、上のような注釈とともに発信されれば誤解は招きづらいと思います。

「バス釣り専門店が経営的に成り立つには、顧客(バサー)の人数がある程度必要。バサーがたくさんいる(大人も子供もバス釣りに親しむ)には多くの釣り場に多くのバスが必要。多くのバスが生息するにはその餌となる生物がバスの現存量以上に必要、という、普通に想定される話」とも後にツイートされていて、これも先の模式図の誤解を減らすためにツイートだと思います。

ただ、それでも図にある一文は、やはりとても強いと思うのです。

〈一軒のバスプロショップが経営を成り立たせるためにはその地域の莫大な野生生物資源を消費する〉

専門家とは信頼の象徴ですから、その方の明らかにふざけたツイートだったり冗談とわかるようなツイートは別として、専門的なことを発信していると思える場合、多くの人は、そのツイートを信頼するのではないでしょうか。

逆に言えば、「あれ? 信頼に値しないのかな?」と思われてしまうことは、その専門家にとっては致命的なことなのではないでしょうか。だからこそ、たとえば匿名のアカウントだとしても、専門家を名乗る方のツイートには、その信頼を維持するための地道な「信頼フィルター」が掛けられているのではないでしょうか。特に専門分野についての発信をする場合には。

(信頼の象徴といえば新聞もそうでした。中でも「見出し」はひと目で素早く書いてあることの本意を伝えるという新聞ならではのメディアだと思うのですが、昨今のネットニュースによって、その信頼はだいぶ揺らいでしまったのではないかと思います)

 

ちなみに「バスプロショップの生態系ピラミッド」は、他の釣りもそのまま当てはめることができます。〈頂点のバスプロショップ〉を〈琵琶湖沿いのルアー専門店〉とすれば、ピラミッドはこんな感じでしょうか。

〈1軒の琵琶湖沿いのルアー専門店〉

〈顧客になるルアーフィッシング愛好家〉

〈釣り人に釣られるブラックバス、ナマズ、ハス、ニゴイ、ビワマスその他諸々の琵琶湖のルアー対象魚〉

〈ルアー対象魚に食われる琵琶湖の在来生物〉

 

琵琶湖である意図はありません。模式図ですから多少の例外があっても構いませんし、ブラックバスやルアーフィッシングに限らず、どんな釣りにだってあてはめられます。もっと言えば釣りだけでなく、少し解釈を変えればあらゆる人間活動にあてはめることができます(もちろん、この図を作った方が伝えたいと思っている真意とは無関係に)。

 

 

繰り返しますが、このブログには、上げ足を取るような意図はありません。

釣りは自然はなによりも自然に親しむ遊びだと、そこが釣りの一番の魅力だと私は考えていまして、だからこそ私は、釣りをする人には自然のことをたくさん知って考えてもらいたいと思っています。誤解や印象やイメージではなく、できるだけ事実に基づいた理解をしてもらいたいと考えています。そのためにツイッターを通して専門家の方が発信されていることをキャッチすることはとても有用だと思っていますし、多くの信頼に足る自然分野の専門家の方々の考えを受け止めた上で、自然観を養っていくことは、釣りの楽しみを深めると信じています。

ツイートへの誤解や、それに端を発するキツイ言葉の応酬などによって、釣りをする人の自然への理解や、釣りをしない人による釣り人への理解が遠のくことは、とても残念に思います。

また、このようなある意味、恣意的なツイートはよくあるわけで、いちいち引っかかってなどいないのですが、信頼をしている専門家だからこそ、どうしてもそのアプローチが気になってしまいました。

一方で今回、改めて水辺の生態系保全を尊ぶ方々にバス釣りがネガティブに見られていることも受け止めました。

先日、河北新報のオンラインニュースで「違法放流か ブラックバス再繁殖 宮城の伊豆沼・内沼」という見出しで、ブラックバスが外来生物法に違反する放流によって、一度駆除したため池で再繁殖した可能性が高い調査結果が報じられました。

この報道を受けて、別の生態系保全の専門家の方が次のようにツイートされてました。

「以前はゾーニングもあり得るかと考えていましたが、もう国内でのバス釣りは禁止にしても良いのではないかと思っています。オオクチバスの違法放流は各地で事例があり、コクチバスの拡散も続いている。違法行為がとまらないのは異常事態。特定外来生物の放流は、罰金あるいは懲役も科される犯罪です」

一部の違法者を出さないために特定の趣味自体を禁じる「バス釣り禁止」は、私にはとても荒っぽいことのようにも思えましたが、そうなることも将来的になくはないのではないか?と、最近では考えるようにもなりました。

もっと言えば「再放流を前提とした釣り禁止」だって、動物愛護の観点からすれば、なくはないのではないか?とすら思っています。

釣りの魅力は「自然を親しむ」ばかりではありません。ただ、釣りは自然に親しみ興味を持つことで、もっと自然を深く知るようになる遊びだと私は思っています。さらに幅広く知識を得て、ひいてはそれが自然や生態系の保全に繋がることもあると思ってもいます。また、そのような釣り人が増えることが、釣りを楽しく続けるために必要な、社会的な理解を得ることにも繋がると私は考えています。違法行為だと知らなかった人にアドバイスだってできるかもしれません。違法行為だと知りつつ実行しようとする悪質な人がいたとして、それを監視する役割だって果たせるはずです。

(「違法放流」をなくすために、ツイッターでバサー(バス釣りを愛好する人)の方が「量産バスルアーのパッケージ裏面半分を、生物多様性への理解(法令遵守ふくむ)を深めるための説明文の表記にあてる」という提案をされてました。業界的にはこれぐらいのことをしていくべき時代なのではないかと私も思います)

まとまりのない長文にて失礼しました。〈若林〉□