今日は今年初めて花粉の飛散を感じた一日でした。 そんなに風は吹いてませんでしたが、ちょっぴり眼鏡越しの目とマスク越しの鼻に何かを感じました。春が巡ってきたのですね。 そんな春の風に乗って、一冊の本が届きました。 『シートン 子どもに愛されたナリュラリスト』(2002年 福音館書店) 著者は今泉吉晴さん。とても好きな新書『空中モグラあらわる』を書かれた今泉吉晴さんです。 実はシートンはまだ読んだことがないのですが、『武蔵野発川っぷち生きもの観察記』を読んでいただいたある方に、私があとがきに書いた「肌を撫でる風」がシートンの言う「バッファローの風」と近いものがあるのではないかと教えていただいたのです。そして今泉さんの書かれたシートンを紹介するこの本に、その風のことが書かれているとも。 「肌を撫でる風」については、ぜひ『武蔵野発川っぷち生きもの観察記』を読んでいただきたいのですが、シンプルに言えば、それはとても心地よい風のことです。その風は春と秋、もっと具体的に言えば5月ごろと10月ごろに川っぷちを歩いていると感じることができます。腕の産毛をそよそよと撫でるようなその風にあたると、なぜだかとても心地よく前向きな気持ちになるのです。 あとがきでは、なぜそんなに心地よいのかについて理論的(?)に考察していますが、どうやらその風は私だけが感じているものでもないらしく、ある人は「栗の花が咲く頃に感じる」と言い、また「ピンクの空が広がる夕方にオケラの鳴く時、その風が吹く」と言う人もいます。 『シートン』によれば、シートンは幼少時、初めて「風の歌」を聞いた時に涙を流したそうです。その風はシートンの心を強く揺さぶり「なにものかを求めて進め」と、感情とからだに働きかけたというのです。 シートンはのちに、先住民が待ち望む春一番の風が「バッファローの風」と呼ばれているのを知って、この風の歌を、そう呼ぶようになりました(『シートン 子どもに愛されたナチュラリスト』より)。 私の感じている「肌を撫でる風」がシートンの「バッファローの風」に近いものかどうかは、『シートン』をまず読み、そしてシートン自身が書いた「バッファローの風」について、もう少し詳しく知る必要があると思います。ただ、そう遠いものではないな、とも思うのです。 春の花粉を感じ、風について考えただけで、まあまあ良い一日。〈若林〉
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