「ゲッチョ先生」こと盛口満さんの近著『魚毒植物』(南方新社刊)を読みました。

「魚毒植物」。聞きなれない方も多いことかと思います。

かつて日本各地の山村地域では「魚毒漁」という漁が行われていました。

魚毒…つまり、魚にとっての毒を川に流し、浮いてきた魚を捕らえる漁です。

釣りやモリ・ヤス、網などと違い、魚毒漁は一度に大量に漁獲できる漁ですが、反面、その川の資源を絶やしてしまうおそれすらある威力を持っています。乱獲に繋がることや、無関係な生き物まで殺してしまう意味からも、前提として現在は全国的に法律で禁止されている「禁断の漁」です。

その魚毒漁の毒として用いられる植物が、この本のタイトルにもなっている「魚毒植物」です。

本書では、まず始めに世界と日本本土の魚毒漁、そして魚毒植物を紹介します。ここで「日本本土」というのは沖縄や南西諸島など琉球列島以外の地域です。そこで主に使われていた魚毒植物は、主にサンショウ、クルミ、エゴノキ、カキです。いずれも山村の川っぷちには普通に生えている馴染み深い植物ばかりです。「毒」というと、例えばヤマトリカブトのように、いかにもアンタッチャブルな毒草がイメージされますが(実際、そのような植物も使われていたとは思いますが)、実際によく使われていた魚毒植物は、暮らしの傍にある馴染み深い植物だと知ります。

この「馴染み深い木」を入口に、話は著者のフィールドである琉球列島へと移ります。魚毒漁が行われていたのは主に川と、珊瑚礁内の水たまりである「イノー」。数多くの文献に加え、実際にかつて魚毒漁を行なっていた人たちにも話を聞き、実態を浮き彫りにしていきます。地域ごとのバリエーション、コミュニティにおける魚毒漁の役割、そして漁を行う人たちのメンタリティ…。

「資源を絶やしてしまう」「自然を汚してしまう」「無駄な殺生をしてしまう」

一度に大量の漁獲物を得ることができる反面、このようなネガティブな現実を自覚しながら行われる漁は、人々の気持ちに様々な思いを抱かせたことでしょう。資料的な役割を果たす第4章「琉球列島における魚毒漁に関する聞き取り」では、多くの話者から「漁が行われていた晩期には、魚毒植物の代わりに青酸カリを使った」という話が出てきます。

手軽に漁獲を増やすという意味では、より強力な毒物を求めるのは必然でしょう。ただ、話し口調で書かれた聞き取りからは、それ以前のイジュやルリハコベやタデなど身近な魚毒植物を用いて行なっていた頃の「自然との対話」とも取れる興奮とは空気の違う後ろめたさです。夢多き昔語りからストンと覚めてしまうような…。

(ちなみに私は第3章を読む前に第4章を読みました。結果として、とても良い読み進め方だったと思っています)

ところで・・

福島の奥会津に「いわなの怪」という民話があります。サンショウの皮を用いた「毒もみ」という魚毒漁の出てくる話です。かいつまんで書くと、こんなストーリー。

川で若者たちが団子を食べながら毒もみを行う計画を立てていたところに、ひとりの坊さんが現れ、毒もみをやめるよういさめる(無駄な殺生はやめなされ)。若者たちは坊さんにも団子をすすめ、一度は話の通りにやめようとするが、結局はリーダー格の男に押し切られる形で漁を行い、その川のヌシである大イワナを仕留める。そのイワナの腹を割くと、昼に坊さんにあげた団子が出てくる。

という話。これは「まんが日本昔ばなし」にも収録されていて、ここで出てくる坊さんは「岩魚坊主」と呼ばれ妖怪にも数えられています。類する話は各地の山村に点在しています。魚がイワナであるかコイであるかウナギであるかなど変わってきますが、話の大筋は同じ。奥会津だけでも「いわなの怪」の他に「物食う魚」「水無川」「岩魚を取らない角木」など複数の民話が残っています。

本書『魚毒植物』にも「いわなの怪」の類話と思われる柳田國男の「魚王行乞譚」が紹介されていますが、著者である盛口さんは、様々な考察の末に次のように書いています。

柳田國男の「魚王行乞譚」は、魚毒をいさめる伝承であるが、前章末で紹介した秋道の提示のとおり、これは魚毒を行なってはいけないということを伝えるための伝承というより、魚毒は注意深く行わなければならないという訓示を込めた伝承ととらえなおすことはできまいか。(以上引用)

つまり、かつて魚毒漁は強いタブーというよりも、自然利用のひとつの形として各地で行われていたものであると示唆されているようにも思えます。第3章のまとめには次のように書かれています。

魚毒漁は禁止せざるを得ない負の側面を持つ漁であると同時に、そのような漁が多地域で長年続けられてきたのは事実であり、その事実を成り立たせたのは、人々の地域の自然理解や自然利用の的確な伝統知があったからこそと言える。私たちは、その魚毒漁を成り立たせていた知のありどころをこそ、再認識する必要があるように思う。(以上引用)

現代では、なぜ魚毒漁を成り立たせることができないのか?

人と自然との関係を考える上で、多くのヒントを与えてくれる気がしました。

 

最後に・・

前述した「いわなの怪」について、私なりのちょっとした気づき(というか妄想)を。

「いわなの怪」では最後にリーダー格の男が具合を悪くして死んでしまいます。岩魚坊主に呪われたように。

ところが類する話をいくつか読むと、呪い殺されることはなく、団子など坊さんにあげた食べ物が腹から出てきた時点で終わってしまう話もあります。結末は大きく分けて2通りあるのです。

呪い殺される話は、強い戒めを伝えている気がします。

一方、殺されることなく終わる話には強い戒めを感じません。

「魚毒は注意深く行わなければならない」と訓示に留めるか、「魚毒を行なってはいけない」と戒めにするか。

もしかするとこの違いには、物語を伝えようとした主体に違いがあるのではないか?と想像しました。そんな妄想を楽しみながら、今一度類話を読んでみたいと思いました。

 

本書はとても読みやすく、入り込みやすく、とても懐の深い本なので、人によって様々な楽しみや興奮が得られるはずです。〈若林〉◻︎

 

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