今日は曇り。柔らかな、肌を撫でる風が吹いています。 夏になると井上陽水の書いた「少年時代」が聴きたくなります。 メロディもさることながら、強く心打たれるのは歌詞です。 「夢はつまり 想い出のあとさき」 私は少年時代を回想する歌と捉えていますが、ではこの「夢」とはどっちの夢なのか? 眠っている時に見る夢か。 もしくは将来の夢なのか。 「回想」ならば、やはり眠っている時に見る夢と捉えるのが普通かもしれません。 ですがジャスフィフになってもなお地味にドリーマー気質な私としましては「将来の夢」と捉えて聴くと、よりぐっときてしまいます。 「夢」とは想い出のあとさきにあるもの(あったもの)。若かりし頃を懐かしく想い出すシーンの周囲には、常に「将来の夢」がまとっていた気がするんですね。そして想い出をたどることで「ああ、自分はあの頃、こんなことを夢見ていたなー」と思い出すわけです。それは大きな夢ばかりでなく、例えば「こんな大人になれたらいいなー」と思うぐらいの小さな夢もちらほらと。 で、夢想から覚めればいい歳したおっさんの自分がいるわけですが(笑)。 「想い出のあとさき」に見た小さないくつかの夢を思うと、なぜだかこの歳になっても前向きな気持ちになれるんですよね。 最近、忌野清志郎がこの歌をカバーしているのを知りました。 まさにこの歌の核心である(と私が思っている)「夢はつまり 想い出のあとさき」を、陽水とはまるで違うトーンで熱っぽく、思いを込めて歌い上げています。 前置きが長くなりましたが、朝方、少しだけ川へ。 週頭に降った雨で入間川水系の河川が越流氾濫。近所の三面護岸河川「ガタ」にも溢れた跡がありました。私の事務所があるところは川そばの低地。雨で本流の水位が上がると排水が追いつかなくなったガタがあふれます。ピンポイント豪雨の場所次第といったところですね。 さて。 最近、観察している段丘崖に接した川も、だいぶ水位は上がった模様。ちぎれたオオカナダモの引っ掛かりを見ると、1.2mほどは上がっていたでしょうか。川底はもちろん、わずかにちょぼちょぼとある小さな岸辺の陸地も完全に水没したことでしょう。 雨が明けて2日後、水量は平水+3㎝といったところ。 流されてきた細かい砂利が上から少しかぶさったぐらいで、河床に大きな乱れはありませんでした。浮き草は流され、半分ぐらいの量になっていました。 まずは朝の這い出しを探してみましたが、見つけられず(ちなみに大雨が降る前夜(3日前)は7匹の川底への這い出しを見ることができました)。 せっかくなので、上写真の場所を少し掘って見ることに。 大水前は「マッチョ虹色川ミミズ」が多数川底に潜って暮らしていた浅い瀬尻です。 石をそっと除けると若い「マッチョ」がおりました。 つまようじぐらいの太さ、10㎝にも満たない幼体です。成体よりも、これぐらいのが多いです。「マッチョ」は1年以上生きる多年生で、生体も幼体も同時期に見ることができます。 意外・・なのかどうかわかりませんが、「しまぐろ川ミミズ(おそらくは一年生・表層種のキクチミミズ)」もおりました。別の川では今年、交接も観察することができたミミズです。夏場になると急に姿を表すおそらく一年生のミミズです。また別の川では岸際の石と砂の間にいる姿も観察していますが「マッチョ」よりは陸地寄りを好むとおもわれます。ちなみに私の観察の範囲では、ヤナギタデの根元が好きみたいです。 大水前には見ていませんでしたから、もしかするとすぐ下流にある小さな陸地の表層にいたやつが、大水時に流されないように石の間に潜ってそのまま川底を進んでいたのかもしれません。 他にも・・ 小さなシマミミズの幼体もいました。 さらに大きな10㎝以上の「しまぐろ川ミミズ」も。 これはおそらく「マッチョ」の幼体。 これも「マッチョ」の幼体もしくは亜生体。 さらに流れの強いところの石の裏には10㎝弱ぐらいのツリミミズの仲間もいました。 本当に感覚でしかありませんが、表層性のフトミミズ科(ヒトツモンミミズや「しまぐろ川ミミズ」)よりも「マッチョ」に近い存在のような気がします。水中に馴染んでいるというか・・。 ミミズは本当に種類が多いのだと思います。〈若林〉◻︎
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