7月は川ミミズ観察の最盛期。仕事帰りにちょっと立ち寄り、河床への這い出しを観察する日々。ここ数年、ずっと気になっているのは「彼らにとって河床への這い出しにはどのような意味があるのだろう?」ということです。

ただ、この問いに対する答えを知るのは容易ではありません。そもそも、河床に這い出している彼らがどのような状況にあるのかすら「瞬間」の観察しかしていない私には知りようがないからです。

具体的に言えば、彼らは一生を通して、あるいは一定の期間、水の流れている川の底で暮らしているでしょうか? それとも単に、岸から(事故的に)川に落ちて、流されている途中の姿なのでしょうか? その違いすら、今の私には判別のしようがないのです。

ただ、主に夜、流れのある川底に這い出して動き回っているミミズが少なからずいることは事実であり、目の前で観察することもできます。ならば、もう少し別角度からこの魅力に富んだ生き物について、観察を深めてみようと、そんなことを思いました。

「環世界」という概念をご存知でしょうか? 上の本、『生物から見た世界』(岩波文庫)は、環世界の提唱者であるヤーコプ・フォン・ユクスキュルが1933年に書いた、環世界の入門書です。

環世界とは、「生き物たちが独自の知覚と行動で作り出す各々の独自世界」といったところでしょうか。私もまだまだ理解が及んでいないので、詳しく説明することはできませんが、生き物はそれぞれにとって意味のある事柄を知覚して、それに応じる行動をしている、という概念です。例えば背の高い人と背の低い人では、見えている世界が違いますよね。背の高い人にとって、お店の暖簾をくぐる時の入口の高さは頭をぶつけてしまうかもしれない「危険物」と知覚されているかもしれませんし、背の低い人にとって蒸し風呂地獄の満員電車は「命を脅かす危険物」と知覚されているかもしれません。このように同じ人間でも、環世界は違います。

同じ人間ならば、まだ自分とは違う世界を想像しやすいかもしれませんが、相手がミミズとなるとどうでしょう。ちょっと意識しなければ、彼らの世界を想像することはできません。でもミミズにはミミズにとって意味のある事象を知覚して成り立っている環世界があり、その世界の中で暮らしている…と考えてみることで、ミミズに対する理解度が今よりも深まっていくのではないか? なんてことを期待しています。 

今、「ミミズ」とひとまとめにしましたが、土中に暮らし、時折地上を這い回るミミズと、流れの下の河床に暮らし、時折河床を這い回る「川ミミズ」とでは、その環世界は大きく異なるのではないか。そんな気づきがありました。

とはいえ、その妄想はかなり壮大になりそうでもあり…。少しずつ気づきを積み重ねていけたらと考えています。

 

 

暗い川の中を這い回る川ミミズに想いを馳せます・・

 

まず彼らは目が見えません。そして彼らは光から逃げようとします。ライトを当てると、ほぼ決まって潜れる石や砂礫の隙間に頭を突っ込み、多くの場合はそのまま姿を消してしまいます。ただ、尻尾の方はあまり光を感じないようで、尻尾だけ見えている状態になることもしばしばです。早朝を除き、日中の明るい時間帯に河床の這い出しを見たことはほぼありません。つまり、暗闇の中、何かを頼りに、何らかの目的?を持って進んでいるのでしょう。

 

明るさを抑えた赤色ライトならば、照らしても影響は少ないように思えます。なぜなら赤色ライトで照らしているミミズは砂礫の下に潜っていかないためです。この時のミミズの動きは、多くの場合、移動しながら吻端を伸ばして川底を探っているような行動と、環帯(ハチマキ部)より前の頭部?を振りながら流れを感じているような行動をよく見せます。

 

土中や地上を移動する他のミミズと違い、河床を這い回る川ミミズが持つ大きな特徴は、おそらく「川の流れを感じている」ということだと思っています。これは河床を這い回るミミズだけに意味のある知覚なのではないでしょうか?

 

まずは流れを切り口にしていきたいと思います。

他のミミズにはない、川ミミズだけに特別な「流れ」をどのように知覚して、行動に移しているのか? この辺りの観察を深めることで、川ミミズの環世界に迫りたいと思います。〈若林〉□

 

※ちなみにミミズなど生き物の環世界については、釜屋憲彦さんという方が、面白いご考察をたくさんされています。YouTubeにも面白い動画がありますので、ご興味のある方はチェックしてみてくださいね。

 

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