もう10年も前だろうか。栃木県の父の実家を取り壊すことになり、蔵から出てきた古い魚取りの道具をいくつか譲り受けてきた。木製のアユ缶と小さな手網、ブリキ製のビク、そして大きな箱メガネ。これらはほぼ使うこともなく、事務所の棚に寝かされていたのだが、つい二日前、箱メガネを用いてのカジカ突き漁を取材する機会に恵まれ、ふと思い立って川に持っていった。

 箱メガネには父の名前と住所、そして「昭和二十五年七月二十七日」と墨で記されていた。箱はA4判の雑誌を20冊も束ねたほどの大きさで、角に斜めの板が張られ、台形の凹みがつけられていた。

 中には布を巻いた横棒が一本。ここを手で握り、使うものだと理解した。

 カジカ漁の取材については後日、ダイワのウェブコラム「リバーウォークストーリー〜川と釣りと」で紹介の予定だが、古の川漁に詳しいご主人にこの箱メガネを見せると「とても状態が良いですね。大切にされていたのでしょう」という言葉に次いで、箱の中の横棒が口でくわえて固定するためのものであることを教えてくれた。台形の凹みは顎を載せる部分だという。

 昭和二十五年といえば、父は十三歳。この箱メガネをもって飛び込んだであろう川は、私にも想像がついた。私が子どもの頃、何度かハヤ(オイカワ)を釣りに連れていってもらった父の実家のすぐ近くの川だろう。釣ったハヤは決まって醤油で煮て食べたが、口に当たる骨と苦味が少し苦手だった。

 今日の夕方、事務所を少し掃除した。本棚を整理すると、買ったまま読んでいない本の一つが目についた。

『原始漁法の民俗』(民俗民芸双書)。いつだったか神保町で手に入れた。1899年生まれの最上孝敬氏が1977年に出版したもので、裸潜りや鵜飼いなど原始的な漁法について書かれている。

 パラパラとページをめくるなか、「箱ガラス」という文字で目が留まった。このように書かれていた。

(引用)さらに内水面でアユなどをヒッカケてとるためには、箱ガラスをほとんどかぶったようにして、頭の部分を箱ガラスに託し、身体を水中にうかべ足で泳いで、獲物をねらう方法がとられる。その際、箱ガラスの頭を入れる一面の下方にうまくあごが引っかかるよう凹形の枠をとりつけ、場合によっては、箱ガラスが動かないよう歯でかんでおさえるような木の棒や糸を、箱ガラスの内側にとりつけたものもある。

 さらに鬼怒川の事例として、この箱ガラスを用いた漁法の一連が紹介されていた。子どもだった父は、この箱ガラスを被り、小さなヤスを手に、川をゆったりと流れながら水中を走る小魚や、茶色い玉石、砂の舞い上がる川底を眺めたのだろう。

 試しに箱ガラスを顔にあててみたが、残念ながら頭が大きすぎて収まりきらなかった。子供用だから仕方ない。一つ一つの手作りだっただろうから、もしかすると所有者に合わせたオーダーメイドだったのだろうか。被ることはできないが、いつかこの箱ガラスでカジカを覗きながら釣ってみよう。

 思いがけず五年前に他界した父を思い出す、年の瀬となった。〈若林〉□

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