半月ほど前、とある大学の先生と養魚についての話をしていた時、最後にふと数年前のあやふやな記憶を、なにげなしに伝えた。
「そういえば、この辺りにかなり古い養鱒場があったらしいんです。詳しくは覚えてないのですが…」
「そうです。あります。白子養魚場じゃないでしょうか」
夢で見た風景は本当だったんだ…とまでは言わないが、おぼろげな記憶がつながった。「行ったら思い出すかもしれません。今から行ってみましょうか?」
そして私たちは、私の薄い薄い記憶を頼りに埼玉県和光市の白子に向かった。
3、4年前、私がその養鱒場を知ったのは住宅地に何気なく立てられていた一枚の看板だった。かなりあやふやだが「日本最古の養鱒場」と書かれていた記憶がある。今にして思うと、なぜこんな重要な情報があやふやなのだろう?と我ながら不思議だが、当時はちょうど湧水場の川ミミズ探しに興味を全振りしていた時期だった。
私の住んでいる埼玉南部は、多摩川と荒川に挟まれた武蔵野台地の周縁部にあたる。台地の周縁部には川が削った段丘崖があり、そこからは湧水が染み出す。私はその頃、湧水場で見ることのできる美しいミミズを探すのに夢中で、10kmほどの範囲を段丘崖沿いに歩き回り…というよりもミミズを求めてさまよい歩いていた。「日本最古の養鱒場」はその時にちらと見たことを覚えていたが、和光市白子ではなく、そこから7、8km西方の段丘崖だったと記憶違いをしていた。今回、先生に「白子」と聞くと、すぐにカチッと記憶がつながった。
そのあたりなら白子川が削った段丘崖だ。歩いた記憶はある。
だが、歩き始めて数十分、看板を見つけることはできなかった。
途方に暮れて行きつ戻りつするなか、先生がスマホで和光市史を調べると、すぐに白子養魚場の場所は明らかとなった。「熊野神社の敷地内だったそうです」
熊野神社は私の家からも近い神社であり、よく知っている。だがそこに養魚場があったなんて聞いたことはなかったし、なにより私が見た看板は何気ない住宅地の坂道の脇にあった。熊野神社ならいくらなんでも覚えているはずだ。
熊野神社に向かいながらも、風景から記憶をたどる。ふと、記憶に爪を立てる風景があった。そして音。側溝を流れる湧水の音だ。そう、その頃の私は音を頼りに湧水場を探していた。サケやマスが大海原から故郷へと戻り、最後は嗅覚に頼って母なる川を突き止めるように、私は音を頼りに湧水場で密やかに暮らすミミズを探していたのだ。湧水の音をたどると、とある住宅内の坂に出た。
おそらく・・間違いない。そう思い「この辺りかなり怪しいです!」と、歩き疲れたであろう先生に期待を持たせつつ、坂を登ったが・・
看板はなかった。代わりにポツンと水神様。
結局この日、私が記憶する看板を見つけることはできなかった。だが、熊野神社で話を聞くと、養魚場があった話は知っているとのこと。だがもうそこには碑もなければ何も痕跡は残されていないという。
和光市史にはこうあった。
(引用)白子養魚場では、鮭、鱒、鯇(あめのうお)の人工孵化が行われていた。鮭の卵は茨城県の那珂川で採取していたが、明治一一年には最上川(山形県)と石狩川(北海道)、同十三年には三面川からも供給を受けていた。鱒の卵は那珂川の上流である板室村(栃木県黒磯市)で、鯇の卵は滋賀県琵琶湖でそれぞれ採取されていた。
鯇とは琵琶湖のビワマスのことだ。琵琶湖には醒井養鱒場という明治11年に作られた歴史ある養鱒場があるが、白子養魚場が作られたのはその前年の明治10年のことだった。ちなみに日本初めての鮭の人工孵化放流は、明治9年に那珂川で採取した卵を押切村(現在の埼玉県熊谷市あたり)の養魚場で育て、明治9年4月29日に荒川へ稚魚放流したものとの記録がある。
埼玉南部の近所の神社の敷地内で、今から146年も前にサケやマス、そしてビワマスまで養殖されていた事実を知り、強い興味をそそられた。一方、私が見た看板はなんだったのだろう? もしや夢だったのか?
そんな疑問もすぐに氷解した。検索に引っかかった近所を散策する方のブログに、私が見たままの看板の写真が見つかったのだ。その看板は、私がこの日、音を頼りに上っていった坂の途中にあった。翌朝、再度足を運ぶとその場所はちょうど今年取り壊され、今も工事中だった。道向かいには、富士山の稜線のようにきゅっと口元を結んだ水神様がいた。今はなき看板には次のように書かれていた。
(引用)この辺り(白子宿周辺)は、昔から盛んに湧水が流れ出していました。この坂も、滝のように湧水が流れ落ちていたことから「滝坂」と呼ばれていました。明治9年(1876年)には湧水を利用した日本最初の養魚場が熊野神社境内にできました。また、水車もあちこちで勢いよく廻っていました。
誰が作った看板なのかはわからない(市によるものではないらしい)。情報の錯綜なのか、日本最初の養魚場として明治9年に作られたとある。明治9年ならば、年代的にも日本最初の養鱒場だった…のかもしれない。〈若林〉□
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