今日も事務所で原稿書き・・なのですが、このところ自分の中でずっと考えていることについて。

それは「池の水ぜんぶ抜く」という番組に対する嫌悪感について。

高視聴率を稼ぎ、年明けには特番も放映されるというテレ東の人気番組です。

一部しか観ていないのですが、とても嫌いなんですね。

どのぐらい嫌いかというと、全部は観ていられないくらいに嫌い。

出ているタレントが全部嫌いになってしまうくらいに嫌い。

で、自分でも驚くほどの、この嫌悪感の根っこは何なのだろう?と考えているのです。

そんな自分に対する興味もあります。

長文を始める前に、ひとつだけ最初にお伝えしておきたいのは、今回私は正しいことを主張したいというわけではないということ。正しいか正しくないか、ではなく、なぜ好きではないのか、嫌いなのか。書きつつ探りたいのはその点です。

なぜ正しいことを主張するものとはしないのか。それは正しいかどうかを判断するには、あまりにも勉強不足だからです。勉強中だからです。

番組の内容は、池の水を、その池の管理者(自治体など)の許可を得て(管理者の要請を受けてという場合もあります)水を抜く。ざっくりと言えば、それだけです。いわゆる「かいぼり」。池を定期的に干すことで水質を良化させたり、池で育った魚を食べるために捕ったり・・ようするに昔から行われてきた池の管理の一環ですね。それをバラエティーショー的に見せる番組です。

池のかいぼりは私も子供のころに経験がありますが、とてもワクワクするもの。出演しているタレントさんたちが童心にかえって楽しむ様子は微笑ましくも映ります。

番組は、バラエティーショーであるもうひとつの軸として「外来種を駆逐する」というストーリーを用意しています。そしてテロップやタイトル等で強調しています。

たとえば11月26日放映の大阪府営の山田池では「野鳥が(ヒナを食いつくされて)一羽もいなくなってしまう」とか、「怪物ライギョが10000匹」的なキャッチが謳われます(※この真偽については今回は問いません)。

それがカミツキガメならば人間に危害を及ぼし云々という紹介もありますが、いずれにせよ総じて「外来種=悪」というわかりやすい構図を作り、それに闘いを挑むかのような演出をして、番組を盛り上げていきます。

 

ではでは、私がなぜこの番組を嫌いなのか。

すぐに「かいぼり」ではなく、「外来種の取り扱い」にあることはわかりました。

ざっと思い当たる個人的な理由がいくつかあるので列挙しますと・・。

①番組で「悪いもの」とされてショー的に退治されていく生き物(外来種)たちが、子供の頃から身近な川や池で親しんできた生き物たちであること。ブラックバス、ブルーギル、コイ、アメリカザリガニ、ライギョ、クサガメ。これら全部、子供の頃に近所の池や川で捕ったり、釣ったり、家に持ち帰って飼ったりして親しんだ生き物。いわば現在45歳である自分が子供の頃に体験した自然風景が「それは悪いものたちでした」と一掃されていくことに対する悲しさがある。

②仕事として外来種であるブラックバス釣り雑誌の編集を8年やった経験がある。この魚が人に与える喜びを多く知っている。自分もブラックバスが好き。

③学生時代に中禅寺湖にいる外来種ブラウントラウトなどの生態を観察していたことがあり、それらの魚達に愛着を持っている(中禅寺湖には魚は元々いなかったとされており、そこにいる魚はすべてが国内・国外を問わなければ外来魚)。

④生物学を専門とする大学講師が番組に関わっているにも関わらず、生物に対する伝え方が雑(意図してか意図せずか誤解を生むことをいとわない番組の姿勢)。

ざっと、すぐに思いつくのはこんな感じ。

④はさておき、①~③については非常に個人的な感情であり、人によっては「お前の身勝手な感情だろ」と言われてしまっても反論はしづらい類のもの。そして自分の中でも、この①~③では、これほどまでにこの番組を嫌う理由としては足りないんですね。

④についても、いろいろと勉強を重ねて指摘をしたい気持ちはありますが、それも勉強不足のいまは避けておきたいところです。

ひとつだけ言えば、番組に出てくる多くの所有者のある「池」は、それ自体がもともと自然の物ではなく人工的な物である、という点。つまり、番組がしているかいぼり+外来種駆除は、例えるならば人のお庭のレイアウトを変えているようなもので、チューリップはダメ、ポピーはダメ、彼岸花は・・・いいんだっけ? いや、厳密にはダメです・・みたいな行いであるということ。本来の外来種問題とは異なり、例えば池の管理者が外来種OKです、というのであれば、法律で禁止されているものを除けば、それは生物多様性の理念よりも優先されてもかまわない・・というより管理者の意思こそ最優先されるべきものであるということ。公園の池で親しまれているニシキゴイを外来種だからといって管理者の許可なく駆除してしまってはいけない、ということにも近いこと。だからこそ番組では管理者である自治体などの許可を得て行っているわけで、だからこそ外来種の駆除だって大手を振ってOKなわけですが、「外来種がいてはいけない」という生物多様性の理念にとっては最も意味をなさない水域であるということ(完全に人工的な池だとしたら、そこにはそもそもの原初的な環境が残されていないという理由によって)。

・・・と、これだけの長文を割いても完全には説明をしきれないものなので、正しい正しくないと意見することはとても難しいことです。言ってしまえば、それを尺の定まったバラエティーショーに求めることこそが、そもそも無理な話なのですが・・。

ともあれ、私がこの番組を嫌いな理由の核となる部分は①~④ではないのです・・・ということに、このところの長考で、改めて気づいたのです。

(とても長文になってしまいました・・。でも、もうちょい続きます)

 

では、一体、なぜにこんなにこの番組が嫌いなのか?

そのヒントは、近頃の自分の体験や、友人との話の中にありました。

まずは友人の話。

近所の川で、親子参加型の自然観察会があったとのこと。その川で見つけた生き物を観察する会で、ヒキガエルを見つけた参加者のお父さんが、子供たちの前で「えーと、これは殺しちゃっていいやつだっけ、ダメなやつだっけ?」と話していたんだそう。つまり外来種だったら「殺しちゃっていい」で、在来種だったらセーフということなのでしょうが、私的にはとても気になったんです。この言い方が(ちなみにそのヒキガエルは在来種)。

外来種なら殺しちゃっていい。

在来種なら殺す必要はない。

気になったのは、その言葉のもつ意味ではなく、子供への伝え方にありました。

あくまでも話の中の一部なので、その前後はわかりませんので、たとえば「このカエルがいると日本に元々いたカエルが追いやられてしまうから、可哀そうだけどこのカエルはこの場にいるべきではないんだ・・」とかだったら、気にならなかったと思います。

もしくは同じ「殺す」にしても、「このカエルって美味いんだよ、食っちゃおう」とか、「このカエル、カッコいいよな、家で飼おう」とか、「お父さん、どうしてもこのカエルの標本が欲しいから殺しちゃうよ」とか・・。

最後のはちょっとギョッとする意見ですが、それでもこの番組に対するほどの嫌悪感は抱きません(私の場合)。

なのに「外来種だから殺しちゃおう」に対しては、何やら得も言われぬ嫌悪感が生まれてしまいました。

 

もうひとつ、近ごろの体験談として。

千葉県の高滝ダムにワカサギ釣りに行ったときのこと。

ボート屋さんの受付に「ブルーギルを持ってきたら10円と交換します」とありました。

ブルーギルです。昔はよく自宅の池で飼いました。

 

ワカサギ釣りは家族連れも多いのですが、結構な家族がブルーギルを持ち込んでお金と交換してました。

ちなみにこのボート屋さんが最も大切にしている魚は国外外来種(日本以外の国から運ばれた外来種)のブラックバス。10円と交換のブルーギルも国外外来種。ワカサギは国内外来種(日本だが本来生息していなかった地に移入されたり運ばれたり人為的な影響により生息域を広げた外来種)。

なぜ、ボート屋さんがブルーギルを10円と交換するのかというと、ワカサギ釣りをしていると、結構ブルーギルがかかるんですね。でもブルーギルは一般的には食べませんから、ワカサギ釣りをする多くの人にとっては不要な魚なのでしょう。なので、減らした方がお客さんが喜ぶだろうというボート屋さんの考え。もしかして聞いてはいませんが、ブルーギルはブラックバスの卵も食べてしまうような魚なので、それも考えてのこと、なのかもしれません。

で、私はこの時にも何やら得も知れぬ、そわそわした気になったのです。嬉々としてブルーギルを持ち込んでくるファミリーを目にして。

お父さんは、なぜブルーギルを殺すのか、ちゃんと子供に説明しているのだろうかと。

外来種なら殺しちゃっていい。

在来種なら殺す必要はない。

そんな文言で片づけてやいやしないだろうか、と・・。

たとえば

ブルーギルはお金になるから交換しよう

ブルーギルは釣りのじゃまだから殺しちゃおう

これも随分、身勝手なことだとは思います。

ちなみに私はブルーギルが釣れてもうれしい派なので殺しません(これも一種の身勝手)。

ただ、そこには少なくとも、その魚を手にした人間の個人的な意思や欲求があり、だからなのか、私的にはそこまでの嫌悪感は抱けないのです。

同様に、

食べたいからカモを撃つ

食べたいから魚を釣る

楽しいから釣りをする。結果として魚を傷つける

農作物が荒らされるからイノシシを狩る

これら、個人的な意思というか欲求を叶えるための行動・行為においては(もちろん社会的に決められた制度や法律を守ることは大切だと思いますが)、相手の立場になって理解をしてみたいと思っています。

たとえばブラックバスを例とすると・・

私はブラックバスを釣ることが好きだから殺さず、キャッチ&リリースしています。

というのと

私はブラックバスに食べられるタナゴが好きだから、タナゴを守るためにブラックバスを駆除したいです。

というのは、意思と意思とのぶつかり合い、欲求と欲求とのぶつかり合いなので、行いとしては真逆とはなりますが、相手の気持ちを理解することはできるように思っています。

一方で「外来種なら殺しちゃっていい」という原理原則的な、そこから先の思考をストップさせるような、それでいてその本人にとってはさほど切実な問題ではないかもしれないのに、その言葉に流れて判断を下してしまうような、そんな流れに大きな嫌悪感を抱いてしまうのです。この番組の場合はきっと、まな板の上に乗っているのが自分の好む生き物の命であるから・・だとも思います。

もちろん生物多様性の理念は大切で、それは数千万年やそれ以上の年月を連綿と続いてきた地球上の生き物たちの営みをわずかここ数十年で急速に乱しているという人間の罪に気づいて生まれた大切な理念です。この番組は、そのような大切な理念を一般に知らしめるとてもよい機会なのだとも思っています。

ただ、どんな物事にも異なる側面があって、たとえば自然に親しみに行くために走らせる車が排出するガスだって、そもそもコンクリで固めた道だって、大好きな渓流に分け入るための林道だって、自然へのおおいなるインパクトですが、それをすべて、自然を守ろう、なんていう理念だけをもって頭から否定をすることはできません。理念と現実(個人としての欲求)とのバランスは、常に頭で考えられるべきもので、その「考えていくべし」ということこそ、子供たちに伝えていきたいと考えています。

番組に対する嫌悪感は、外来種に対しては「あ、殺しちゃっていいやつでしょ」とその先の考えなしにスルーしてしまう人を増やしてしまうのではないかという恐怖感からくるものでした。正しい正しくないではなく、あくまでも私の個人的な感情の揺れ動きとして。

きっと、考えすぎなんだろうなー。

長文、失礼しました。〈若林〉□