テレビ東京のバラエティー番組「池の水ぜんぶ抜く大作戦」に環境保全の専門家として出演されている久保田潤一さんの本『絶滅危惧種はそこにいる 身近な生物保全の最前線』(角川新書)を読みましたので感想を少し書いておきたいと思います。

前提として、私は「池の水〜」の番組が好きではないなのですが、その理由については過去にブログに書かせていただきましたので、こちらをご覧になってください。

簡単にいえば、外来種を悪者と見立ててそれを討伐するような番組の過剰な演出が視聴者に「外来種=悪いもので、いてはならないもの」という印象を抱かせてしまうことに対する危惧が私にはあります。そして多くの人や社会にとってそのような印象が固まっていくことは、長い目で見たときに人間の幸せにとっても自然保全にとっても良いことではないのではないか?と考えています。

私が今回、この本を読もうと思った直接のきっかけは中島淳さんのこちらのレビューです。水辺の環境保全の実際を当事者による文章で知りたかったことがひとつ。もうひとつは中島さんが書かれていた下の文章が気になったためです。

(引用)これらの章の間にはコラムが挟まれているが、このコラムにも重要なことが多く書いてある。特にコラム2「日本の生き物は弱いのか?」は、しばしば誤解されることが多い外来種問題を正しく理解する手助けとなる。ここにある「本物の生き物好きは、外来種を悪だなどと思わない」という著者の意見には、私も同意する。外来種が善か悪かという話ではなく、人の手によって持ち込まれた外来種が在来種に悪影響を及ぼすのであれば、人の手によって対策を行わなくてはならないというシンプルな話なのである。そして、生き物好きが外来種対策を行う時、そのほとんどの場面で心を痛めていることも知ってもらいたい(引用終わり)。

 ここで著者(久保田さん)の意見として「本物の生き物好きは、外来種を悪だなどと思わない」と紹介されていることが気になりました。なぜならば、少なからず外来種を悪のように演出する番組に専門家として関わられている方の言葉として意外な気がしたからです。

 

全体の印象として、とても読みやすい文章で書かれており、それこそ私の住んでいる埼玉南部にもほど近い狭山丘陵が舞台の中心でもあって、副題にある「身近な生物保全の最前線」がわかりやすくまとめられている一冊だと感じました。実際の保全のありようから、保全に関わられている方の気持ちまでが実例を紹介する形で書かれていますので、どのような人たちがどのような気持ちで環境保全に尽力されているのかがよく理解できるのではないかと思いました。また、たくさんの水辺の生き物との出会いの高揚感は、読んでいるものにもワクワク感を与えるものだと感じました。

いくつか私的に気になる点もありました。

ひとつは第一章の「たっちゃん池のかいぼり」で捕獲した生物19種514匹のうちオオクチバス(ブラックバス)が18匹しかいなかった理由を、かいぼり本番前に池の水位を低く保っていた際にやってきたアオサギの捕食だろうと推測する一方で、前回のかいぼりで確認されたモツゴとウキゴリが1匹も確認できなかった理由を「間違いなくバスの影響だ」として、アオサギの捕食に触れられていなかったことです。

外来種・在来種問わず、専門家としては、かいぼりによる生物への影響こそ自省的に最も考慮・考察すべきことだと思うのですが、その点がやや粗く、うがった見方をすれば、いいような解釈が与えられているように感じました。

もうひとつは池などの環境を良し悪しで表現されている箇所が目についたこと。「良い池にしなければならない」「外来種が放されて環境が悪化していったと思われる」「このままでは川の生態系まで悪化してしまう」「(外来種を駆除したため)平和を取り戻していた」「(バスがいなくなり)環境が改善している」など。これらの表現に問題があると言うつもりは私にはありません。伝えたい想いを伝えるためにはある程度良し悪しや善悪などの表現は有効だとも思うためです。その意味では「池の水〜」の番組にしても、人の心を感情的にもつかみやすいがために演出として「良し悪し」が強調されていますよね。

ただ私的にはその表現が過剰になると、読者や視聴者へのメッセージがその部分に偏ってしまうだろうな・・と思い「池の水〜」の番組の演出には危惧をしています。

この本の中では「過剰」に表現されているとは感じませんでした。なのになぜ目について気になったのか?といえば、著者がコラムの中で次のように断じていたからです。

(引用)世の中には、専門家・学者の肩書きを持ちながら「外来種を悪者にするな」「駆除する必要はない、受け入れろ」という発言をしている人がいる。また、そうした論調の専門書っぽい書籍も存在する。しかし、非科学的な感情論なので注意が必要だ。(中略)そもそも、まともな専門家は自然科学の中に「善悪」などという価値観を持ち込まない。つまり、前提からして間違っている。(引用終わり)

ここで言われている専門家や学者が誰なのか、またどの本を指すのかは読者にはわかりません。ある書物や発言の中には、矛盾を多く含んでいたり感情論に終始しているものがあることは私も知っています(外来種をすベてまとめて語る論調には善にせよ悪にせよ私的には抵抗があります)。ですが、誰なのかどの本なのか、わからないからこそ「外来種を悪者にするな」「駆除する必要はない、受け入れろ」という発言を根拠に「非科学的な感情論」としりぞけてしまうことは、外来種問題を解決から遠ざけてしまうことではないかと思いました。

 

というのは著者ももちろん承知の通り、環境問題、なかでも外来種問題は自然科学だけで解決する問題ではないからです。その意味では自然科学の専門家や学者も外来種問題においては(自分の責任のもと)「善悪」「良し悪し」の価値観は発信されていくべきなのではないかとも思いますし、実際、そのように思える発信も見受けられます。

私的に大切なことだと思っているのは、その際に「何のため」に善なのか、悪なのかをできるだけ具体的に考えることだと思っています。人のため? 希少生物のため? 日本の自然のため? その是非はともかく、何のためかをできるだけ細かく考えることで、見えてくることが多いと思っています。

 

私が最も気になっていた「池の水〜」の番組演出と著者の思いとの乖離については、コラムに書かれていました。そこはぜひ本書を読んでいただきたいのですが、少なくても著者は「外来種を悪者にする演出は控えてほしい」と指摘し続けてこられているとのことです。バラエティー番組としては例の過剰な演出こそが「命」の部分でもあるでしょうから、なかなか大きな方針転換は難しいとは思いますが、少しでも著者の思いが番組制作側に伝わることを切に願っております。

個人的には「かいぼり」は、遊びという点で見ても、泥んこ遊びに宝探し遊び、それに自然下で生き物に触れ合う遊びが融合したとても興奮する楽しいイベントだと思います。そこで学べることも多いと感じています。なので、そこに外来種についての過剰演出がなくても十分にエンターテインメントとして人気を博すことはできると思っています。

 

いくつか気になった点についても書きましたが、あらためて。

本書は全体を通して「身近な生物保全の最前線」が臨場感や心情も含めてまとめられた読みやすく学びも多い一冊です。特に第七章「ハンセン病と森」は、都市近郊の森という残された自然環境を通じて人々がその後ろ暗い背景を含めて多くの物事を知る貴重なきっかけになる試みについて書かれた意義深い内容と感じました。野生動物を保護して自然に返すまでの一連の体験を書いた第八章「アナグマの父親になりたい」も、多くの生き物好きな人の参考になるだろう興味深い内容でした。

また「釣り」を伝える立場からも、現場で実際に起こっている一部の釣り人によるルール違反や、釣り人によると思われる法律違反について書かれた箇所は、目を背けずに知っておくべき内容だと思った次第です。〈若林〉□

 

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