毎月のお仕事、海のルアー釣り専門誌『月刊ソルトウォーター』の校了を終え、いつものように市ヶ谷にある印刷所へ届け終わると、その足でひさしぶりに行ってしまいました。(私にとって)釣れすぎる釣り堀へ・・。

「釣れすぎるってどゆこと?」という方は、こちら過去のブログ【釣れすぎも怖い】をご参照ください。

ともあれ。

本日も釣れました。

こんなコイですね。40~50㎝ぐらい。これを25匹釣ったところで数えるのをやめました。釣れすぎです。

これまでも似たような釣れっぷりは度々あるのですが、実際にそんなに釣ることはないんですね。たいてい1時間行かないうちにやめにしちゃいます。でも今日はドイツゴイが見たくて(たまに釣れるんです)頑張って釣ってたらまあ釣れるわ釣れるわ・・。そのうちウキも立たない確変状態に・・。

満足か?・・といえば満足なのですが、若干の後ろめたさも感じつつ、釣り堀を後に。

練り餌臭い手のまま(石鹸で洗ってもなかなか落ちないのです・・でも嫌いな臭いでもありません)、靖国神社を見やりながら神保町へ。

アニマを探したり、RIVER-WALKの売れ行きを書店(書泉グランデ)や釣具店(山口屋釣漁具)で確認したりしながら時間をつぶし、そのまま神田~日本橋へと釣具店めぐりへ。

途中、昨夏まで事務所にしてたマンションの真横も通りましたがチラとも見ず。

立て続けに3軒も回ったのですが、お目当てのルアーはございませんでした。

なんかだいぶ自分のシュミと世の中の釣具店の陳列には差があるなぁ・・と思いつつ、でも探していたのがヘドン/メドウマウスのクリアカラーでしたから、非があるといえば私のほうかと・・。

で、最後に日本橋の店を出たところで、もうひとつの目的であった幡野広志さんの写真展「いただきます、ごちそうさま。」へ。

ego Art&Entertainment Galleryで4月29日まで開催しています。

テーマは狩猟、です。

猪の罠猟と鹿や鴨の銃による猟のシーンが並んでいます。

血とか内蔵とか、まあ生き物を殺しているわけですから、そんな写真が並んでいます。

ご自身も狩猟をされていたとのこと。でも重い病にかかってしまい、銃を置いてカメラひとつにしたのだということ。そんなことが冒頭の挨拶文には書かれていました。

幡野さんはいま、ツイッターで質問箱のような受け答えをされていて、その言葉を読んでいるなかで、狩猟で動物を殺すことについて(殺してきたことについて)、いろいろと自省的に考えている人なんだなあ・・という印象を持っていました。

この展示会の冒頭の挨拶文にも、そうと思わせる文面がありました。

動物がかわいそうだと咎められたとか、お前は残酷だと言われたとか・・。

さておき、

生物は何かの犠牲の上に命を日々つないでいっている存在ですから、血肉として命をいただく狩猟に向き合うことは、そんな生物としての宿命に向き合うひとつの手段なのかもしれません。それを行う必要が現代の人間においてあるかどうかは別として。

ひるがえり、

釣り堀でコイを釣まくる行為は、なんだろうと。

渓流でイワナやヤマメを食べるわけでもなくキャッチ&撮影&リリースを繰り返す行為は、なんなのだろうと。

幡野さんの写真を観ながら、そんなことを考えていました。

そんななか、

一枚の写真に目が留まりました。

マガモの雄と雌が吊るされている写真です。

マガモ・・といえば、この冬は随分と近くの川で観察しました。

他のカモに比べてペアの結びつきが強いようで、たいてい雄と雌が行動をともにしています。

きっとこのマガモたちもペアだったんだろうな。

一緒に北国に向かって大空をランデブー飛行をするはずだったんだろうな。

そんなことを瞬時に思ったのにはわけがありまして・・。

行きしなの電車でこちら、レイモンド・カーヴァーの短編集を読んでいたのです。

レイモンド・カーヴァーは釣りが好きなようで、作品にちょくちょく釣りの話が出てくるのですが、狩猟の話もありまして、ちょうど「隔たり(Distance)」という作品を読んでいたんですね。

若い夫婦が話をしている中で、狩猟を趣味とする夫がカナダ鴨の話をするんです。カナダ鴨は一度伴侶になったペアは一生ペアで、どちらか片方が死んだら、もう片方は一生独身のままでいるのであると。群れの中にいても独身のままなのであると。

妻のほうが「あなたはそんな鴨を片方だけ撃ってしまったことがあるの?」というようなことを聞くんです。それであなたはそのことを何とも思わないの?と。

以下、その妻の問いに対する夫の答えを少しだけ引用させていただきます。

(引用ここから)

思わないさ、と彼は言った。猟をしているときには、そんなこと考えもしないものなのさ。ねえ、僕は鴨に関することならそれこそ何だって好きだよ。たとえ猟をしていないときだって、彼らが空を飛んでいるのをじっと見ているだけで僕は楽しいんだ。でも人生にはあらゆる種類の矛盾がふくまれているんだ。そんな矛盾についていちいち考えていることなんてできやしないんだよ。

(引用ここまで。村上春樹訳、『ファイアズ(炎)』中央公論新社より)

 

それでも考えてしまう人はいるでしょう、スルーできる人もいるでしょう、非難する人もいるでしょう、非難されることを言ってしまう人もいるでしょう。反論する人もいれば、無視する人もいるでしょうし、非難されてやめる人もいれば、やめない人もいるでしょう。普段はそんなに考えていなくても、ときどき考えてみる人もいるでしょう。たとえば釣り堀でコイを釣りすぎた日とかに。

そんなことを色々と考えるのは人間だけなんですよね、きっと。〈若林〉□

 

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