昨日はとても暑かったですね。車内温度計を見たら31℃!・・という驚くべき埼玉南部の昼下がりでした。 その気温の上がりっぱなであった4日前の4月19日は、私にとって年に数回しかない「肌を撫でる風」の吹いた一日でした。 きっと何かが繋がっているのだと思うのですが、別の川沿いに住む友人は「オケラがジーと鳴きはじめたね」と教えてくれました。毎年、ほぼ同じタイミングなんですね。肌を撫でる風と、オケラがジーと鳴きだすタイミング。 あ、肌を撫でる風については、過去ブログ【三大発見その2】をご参照ください。 そして近所の川ではアユとボラの幼魚が海からやってきてました。ここらへんも、何かが繋がっているのかもしれません。 さておき。 今日は川ではなく池の話を。まずは大好きな一冊のご紹介を。 『コーンウォールの池のほとりで』(トム・オライリー 1997年 翔泳社) 英国の、とある池のほとりに住んでいる一人の釣り人が、自分の釣りについて書いているエッセイです。 もうしょっちゅう釣りをしている勝手知ったる池ですから。池のヌシであるコイには名前もついてますし、どこまでも馴染んでいるわけです。 残念ながら、まだ上手く説明できるに至ってはいないのですが、とても好きな本です。なんと言いますか、そこにひとつの池があり、そこにひとつの人がいる。その結びつきが、なんだかとっても大切なもの・・といった感じ。たかが池、なのですが。 突然ですが、こちら、我が実家の池となります。 小さな庭の大半を占める、小さな小さなひょうたん池。 まあホントになんてことのない池ですが、私にとっては他に代わりのない池なのです。 小学校入学と同時に、友人の家に越してきたのですが(友人はこの家から遠くへ引っ越していきました)、そのとき「池が埋まってるから」と聞いて、父と兄と掘り起こし、それから30数年。 池には水が張られ、そこには様々な魚たちが入れられてきましたが(いつかこの池に関わった生き物たちについても書いてみたいと思います)、いまはこの池で生まれたキンギョが4匹のみ。 ここ10年ほど毎年卵を産んでいた大きな和金を含め、つい最近、何者かに捕われてしまったのだとか。ネコかアオサギかハクビシン。 ともあれ。 この池を掘り起こさなかったら、きっと違った人生を歩んでいたことでしょう・・というのは、いささか言いすぎかもしれません。 ですが、池と人との結びつきって、その人以外の人には理解の及ばないような、その人以外の人には本当にどーでもいいような(でも、当人にとっては結構大切な)そんな何かがあるような気もしている今日この頃。 その気になれば明日にだって、池の水をぜんぶ抜いてカラカラにだってできる、たかがそんなちっさな水たまりなんですけどね。〈若林〉□
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