先日、ツイッターでたびたび外来種についての話題を発信しているオイカワマルさん(フォロワー数1.6万人・湿地帯や淡水魚などを専門とする農学博士)が、外来種を議論するうえで重要な前提として次の3点を挙げられてました。

(以下、ツイッターより引用※番号は便宜上ここでつけました)

①外来種とは人によって自然分布域外に持ち込まれたもので、自力で来たものは外来種ではない

②対策するのは侵略性のある害のある外来種で、すべての外来種が対象ではない

③外来種問題は人間界の移民等の話とは全く無関係

(引用ここまで)

ここで私が気になったのは②の「害のある外来種」という表現についてです。

「害」というのは相手があって初めて生まれる表現ですから、その相手は何なのだろうと。そこでオイカワマルさんに、次の質問をさせていただきました。そしてお答えをいただきました。

Q「害」とは「人間への害」と考えてよいのでしょうか?

Aそうです。具体的には生物多様性、農林水産業、保健衛生に対する害です。

 

いただいた「人間への害である」というお答えをふまえ、より具体的に②を言いかえると・・

②対策するのは侵略性のある、人間に対して害のある外来種で、すべての外来種が対象ではない

となりますでしょうか?

 

なぜそんな細かい所にこだわる?・・と思われる方もいらっしゃるかと思います。ですが、私は「人間に対しての害」という部分を共有することこそが、外来種を議論するうえでとても有効なのではないかと思っているのです。

・人間に対して害があるから対策する。

説得力があります。

そして、私はここにもうひとつ、外来種を考える人が共有すべき意識として、次の事実をつけ加えたいと思っています。

・生態系や生物多様性に最も強いインパクトを与えているのは人間である。

上のふたつをつなげてみます。

外来生物は、生態系や生物多様性に最も強いインパクトを与えている人間に対して害があるから対策する。

どうでしょう?

人間サマ感がハンパなくて、私はいいと思っています。

こう考えると、少しそわそわして、ある謙虚さのようなものが胸のうちに湧いてきませんか?

生きものに対する謙虚さ。

異なる意見を持つ人を思う謙虚さ。

 

だいぶ以前の話ですが、ブラックバスを特定外来生物に選ぶかどうかというタイミングで行われたシンポジウムで、とある著名な有識者?の方が「ブラックバスは日本にいてはいけません。これは原理原則なのです」と声高に訴えられていたのに対し、私は今でもなお強烈な抵抗感を覚えています。「原理原則」とは簡単にいうと「基本的な決まり」のこと。

ブラックバスが日本にいてはいけないことは基本的な決まりです。

そこには誰(何が)決めたのかという主語がないんですね。

とにかく決まりなの!という・・。

思考停止。

 

話を戻しまして、あらためて。

外来生物を議論するうえで私がぜひ多くの人と共有したいと考えていることは次のふたつです。

・人間に対して害があるから対策する。

・生態系や生物多様性に最も強いインパクトを与えているのは人間である。

 

そのうえで、思考は先へと進みます。

ここでいう「人間」とは、いったい誰のことなのか?

ここでいう「害」とは、いったいどのようなものなのか?

「害」と「益」は、どう考えていくべきなのか?

ニジマスです。環境省と農林水産省が一緒に作った「我が国の生態系等に被害を及ぼすおそれのある外来種リスト」で「産業管理外来種」にブラウントラウト、レイクトラウトとともに区分けされています。 

 産業管理外来種(適切な管理が必要な産業上重要な外来種)ってなに?

この場合の「害」とは? 「益」とは? 「人間」とは?

 

そんなことを考えていると、片道45分の自転車通勤など、あっという間なのです。〈若林〉□

 

追記

このブログを紹介しているフェイスブック上で、「原理原則」という言葉について、下記のようなご指摘をいただきました。文中「この国際条約」とは生物多様性条約のことです。勉強不足のためこのご意見についての責任は私自身は持てませんが、「原理原則」という言葉の使い方については、なるほど・・と思うところもありましたので、引用させていただきます。

(ここから引用)

この国際条約は日本が国として批准しているので、日本国民として、これは原理原則です。それを取り違えてはいけません。その上で、批准している国や日本の方針に反した個々の自由が、どれぐらい認められるか、どうすれば認められるかと言う問題です。何度も言いますが、これは日本国民として守らなくてはいけない国と国との守りごとです。国際条約にどのような条約があるのか、調べられたらいいと思います。生物多様性条約もそれらと同等な意味を持つ条約です。

(引用ここまで)

で、それに対する私のお答えもコピペしておきますと・・。

(ここから)

その国際条約を読んでいないのでなんとも言えないのですが(時間がある時に勉強します!)原理原則という言葉の正当性については、だとしたらなるほど・・という気もします。「原理原則」という言葉の捉え方にもよりそうですね。バスに関しては、現状、私個人としては日本の方針に反した個々の自由、というところを拠り所にしていきたいですね。つまるところ(たとえば教科書に書く内容とかではなく)個人としての発言だったり思いなわけで、「じゃあ日本国民として守らなければならない国と国の守りごとを気持ちの上で破ってしまったらどうなってしまうのか」・・というところまで、必要に迫られたら勉強して身を処したいと思います。

(ここまで)

不要な気もしましたが、さらに深く勉強されたい方のために・・追記でした。