今日の埼玉南部は、とても暑いです。

車外温度では31℃をマーク。一転事務所はPCを冷やさねばならないため、16℃設定という寒さ・・。大変です。

 

さて。本日も出勤前にちょい川を見てきたのですが、ニゴイは横目で新規の産卵魚が上がっていないのを確認する程度にして、気になっていたキツネの気配を探りに・・。

先日、川沿いの鶏小屋で、鶏が何者かに襲われました。

その手口と周囲の足跡から、おそらくキツネのしわざであろうと‥。

ちょっと意外だったんです。タヌキやアライグマ、イタチは足跡も多く、痕跡をいろいろと確認していますので、川を回廊として生息していることのイメージはついていたのですが(これについてはダイワのウエブコラム「リバーウォーク・ストーリー 川と釣りと交差する生き物と」をご覧ください)、キツネは少し意外でした。

なんとなくですが、キツネが棲息するには、もう少し自然豊かな場所が必要・・と言いますか、たとえばもう少し、人があまり踏み込まない山や森、荒野などが必要なのではないかと思っていたんです。

埼玉南部にある川は、周囲が住宅地である都市近郊河川ですから、それこそ川は生き物が行き来する、残された領域・・「回廊」のようなものであると考えていたのです。

キツネがねぐらだったり巣穴を作ったりするような所は残されているのだろうかと、そんなことを考えていたんです。

ですが今回、おそらくですが「キツネはいる」と推測されましたので、ならば、どんな所にならいるのだろうか?という可能性を探ってみたいと思いました。

先に言いますと、私がキツネを見たのは、北海道で3回ほど。ホンドギツネは先日、冬山で足跡を見たのが初めてぐらいですので、まるで見当違いなことを言ってしまうかもしれませんが、おじさんのウォーキングがてらの遊びということで、ご容赦を・・。

さて。

動物には、ねぐらと食事場が必要です。

それが同じ領域にあれば話はシンプルなのですが、都市近郊の平野部など、野生動物の領域が断続的で、しかも広くないような地域の場合、ねぐらと食事場を人知れず、夜な夜な移動してまなかっているのではないかと思います。

先日読了した今泉吉晴さんの『空中モグラあらわる』(←名著です!)には、高台の神社にある大木のウロをねぐらとするムササビが、墓地を挟んだ向かいの林を食事場にしていたという例が紹介されていました。

ムササビは木の高い所から滑空して他の木の低い所に降り立つと、またそこで木を登って、高い所から滑空して・・と移動を繰り返していくのだそうですが、途中に木のない墓地が挟まっている場合、どうしているのか?・・という話です。

行きは高い神社から低い林に向かうので、一気に滑空していけるのだそうです。ですが帰路はいくら林の中の高い木から飛び立っても、小高い所にある神社へは滑空できません。しかたなく途中で墓地に降り立つと、そこからは走ってねぐらのある神社まで帰るそうです。

領域が狭まってしまった野生動物たちは、そんな苦労をしながら生活しているんですね。

私は昨年からタヌキやイタチ、それにイノシシなどを近所の川で観察して、おそらく現代の都市近郊河川は、狭い領域で暮らす野生動物たちにとっての「回廊」なのであろう・・というイメージを強くしました。

たとえばタヌキなら、川に隣接する藪地をねぐらにして、夜になると川に出てエサを探したり水を飲んだりして、またねぐらに戻ったり、季節が変われば、ねぐらから川を伝って川沿いにある雑木林や畑にまで移動して、果実や農作物を食べたりしているのではないかと思っています。

そんなイメージをもって、今回、キツネのねぐらを考えてみました。

食事場は今回の場合、川沿いの鶏小屋です。

ですが鶏小屋の近くには、狭小なる川が流れているだけで、後は開けた畑地があるばかり。キツネが安心して暮らせるような空間ではないような気がしました。

ねぐらの候補地を考えますと、おおよそ3つが浮上。

ひとつは川の合流部です。この川は流れの周囲に少々の藪が残るぐらいの小さな川ですが、1㎞ちょっと下流に他の川との合流部があり、そこは比較的広い草地が広がっているのです。

こんな感じ。

川沿いには何本かの広葉樹も生えています。

自然度も比較的高め。

実は結構大きな謎の穴も見つけました。直径20㎝ぐらい。深さはわかりませんでした。

途中には、こんな足跡も。タヌキかキツネか、それとも犬か・・。 

鶏小屋からの楽なルートは、このような道を1㎞ちょっと歩いていくことになります。

どうなんでしょう。あまりイメージが湧きません。

 

私的には、草地に数本の木が生えただけの合流部よりも、もっと森のようなスペースこそ、キツネにふさわしいのでは‥?なんてイメージがありまして、そうなると候補は残りのふたつ。

川向いにある小高い森です。鶏小屋までは400mほど。川を渡渉するか、橋を渡る必要がありますが、距離は近いです。こちら岸までくれば、あとは川沿いを少し歩けばすぐです。

実はこれ、室町時代のお城の跡、と言われています。

そしてさらに時代を縄文時代までさかのぼると、貝塚が多数あらわれる遺跡となります。

この辺りは、今よりも気温が高く海水面が高かった縄文海進の時代には東京湾の延長だった場所です。この川は海の底、そして奥の小高い森は、海からせりあがる台地で、湧水も豊富な集合住居地だったのです。

もう少し大きな目で見ると、狭山丘陵から下って広がる武蔵野台地の北東端あたりとなります。

埼玉南部は基本的に平地ですが、このような古代の高台や古墳跡、小さな城跡などがポツポツと残ってまして、宅地化もされていますが、なかにはこのように森のまま保存されている所もあり、これが野生動物たちの残された聖域になっているのではないか?・・なんてことを、このところ考えています。

都市近郊において「生きものを収容する小高い丘」の役割を果たしているのではないかと。

往々にして湧き水もセットになっているので、動物たちにはとても都合がよいのではないでしょうか。

そして、候補地の最後のひとつは、鶏小屋からやはり400mほどの所にあるこちらです。

この風景を見た時、直感的に「ここだ・・」と思いました。

ちなみにここは、6世紀あたりの古墳跡だそうです。

間違いなく、貝塚も出土する居住地でもあったと思います。

ここらへんで縄文海進のことを考える時に、最近よく見ているのが地域の洪水ハザードマップです。浸水想定区域がそのまま縄文海進時代の海に重なるんです。ハザードマップを見ると、今紹介した「ふたつの森」は、ちょうど古の東京湾がもつひとつの細長い「入り江」の入口を挟むようにして対面する岬と岬でした。

この森ならば、キツネだって棲めるに違いない。

近くでは宅地にする前の調査も行われていました。

 

カラムシも発見。

そして鶏小屋、つまり川までのルートのほとんどは畑地。

いくつか・・

それらしき足跡も見つけることができました。

一直線につらなっていくのがキツネの特徴なのだとか・・。

ちなみにこちらは川沿いのタヌキの足跡(確証は・・ありません)。

これもおそらくタヌキ。

こちら畑についていた、推定キツネの足跡。

どうでしょうね・・。私の勝手なイメージでは、なんとなくタヌキはいつも草陰の決まったルートを辿る陰キャで、キツネはその時その時で思うままに開けた所を歩いてくる陽キャのような・・そんな感覚もあります。

今回のキツネらしき足跡は、決まったルート・・という感じでもなく、色々な所に、点々とついてました。

 

随分と長くなってしまいました‥。

鶏小屋の鶏や、それを楽しみにしていた子どもたちには酷な事件でしたが、私にとっては、思わぬキツネの存在を身近に感じることのできる出来事でもありました。〈若林〉□

 

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