本日も事務所作業。暑い一日です。

今回のブログは、まだ自分の中でもあまり整理できていないことなのですが、自分が川を考えていくうえでの足がかりと言いますか、その断片について、少し記してみたいと思います。

皆さんは「川」というとどのようなものを想像しますか?

多くの人は「水が流れている所」をイメージされるのではないでしょうか。

私もその一人です。いや、むしろ人よりも、その思いは強かったかもしれません。

その理由のひとつは、私が遡上魚であるサケやイワナ、ヤマメなどをこよなく愛する人間だからです。

皆さんご存知のように、サケ・マスなど一般的にエラ呼吸を行っている魚は水中でないと生きられません。魚にも一部、空気呼吸や皮膚呼吸を行うものがいますが、多くはエラ呼吸ですから川の水が枯れてなくなってしまえば死んでしまいます。

そう考えると、たとえばこんな所は「川」とは呼びづらいわけです。

さらに言えば、サケ・マスの多くは川を上ったり下ったりしますので、行き来する彼らにとっては流れが途切れず連続していることが重要となります。そんなこともあり、サケ・マスをこよなく愛する私の川観も、自然と水がちゃんと流れている所、さらには水の流れの連続性を重視したものとなっていました。

川が人や荷物の重要な道となる舟運に携わった人たちも、同じような川観を持っていたかと思います。川にはある一定以上の水量が流れていて連続していることが大切である、という考え。

そのような川観で上の写真を見れば、中洲の右と左を流れる2本の流れ、となるかもしれません。ですが多くの人が想像されるかと思うのですが、ひとたび川が増水すれば、奥のヤナギの木の周囲は小さな島として水面上に残るかもしれませんが、手前の砂利浜は水没してしまうことでしょう。

たとえば手前から奥へと流れていくこのような川。魚にとっては水の流れている所が重要ですから、川の水は右側の淵に向かって流れ込み、斜め護岸沿いを進む細く深い流れへと絞り込まれていくと見ることができるかと思います。ところが2mも増水すれば、手前のテトラも小さな中洲も、左手奥に見える草の生えた河原も水没してしまい、写真の左右幅いっぱいを流れる太い一本の流れとなるでしょう。逆に1mも減水すれば手前のテトラとさらに手前の段差により川の流れは分断されてしまうかもしれません。そうなれば魚は右奥の僅かに残った深みに逃げ込むしかなくなってしまうかもしれません。

川は雨量や上流のダムの開閉によって簡単に増減水するもので、魚は川の増減水に合わせて居場所をシフトしていかなければなりません。

(・・と、ここでやはり、想像はしていましたが、あまりうまく説明ができていないことを思います。自分の中でもまとまっていない考えを、書くことによって整理できるかと思って試みておりますが、上手くはいけていないようです)

ですが続けます。

そんな魚の生活空間基準で川を見ていた私にとって、川底に棲むミミズという存在は、ちょっとしたショックでした。いや、ここから先は、さらに何の確信もない想像でしかないのですが・・おそらくこれまで私が「水生ミミズ」とブログに書いてきたミミズたちは、川の中にも棲むことができれば、陸地の土中にも棲むことができるのだと思います。

では、魚にとって目に見えて流れている川(水中)が生きていく上で必要な空間条件だとすると、ミミズたちにとってのそれは何なのでしょうか・・。

おそらくそれは「湿り気」ではないかと思っています。

たとえばこんな所。両脇の草(ヤナギタデ)の中央に砂利の道のようなものがありますが、これは川が増水した時に水が流れた跡を示しています。元々ここに砂利はほとんどありませんでした。ヤナギタデが流れに倒されて寝ている状態だったのです。そこに、もう少し強い流れを生むほどの増水が起こったことで、そこに川の砂利が流れ込み、このようになりました。そして写真の川の水位状態では砂利の部分は水中ではなく「陸地」となるかと思います。

ちなみにこの砂利をどかすと結構な量のミミズを見つけることができました。

そしてもう少し表面は乾いたこんな所でも・・

掘れば湿った土が出てきて、そこにはミミズがいるのです。

こうなるともはや、水生だか陸生だかもわからない状態。

ミミズは肺呼吸でもエラ呼吸でもなく、皮膚呼吸を行う生き物で、乱暴に言えば体表を湿らせてくれる環境でありさえすれば生きていける存在なのです(もちろん細かく見ていけば生きていける条件はいろいろとあるでしょうが・・)。

先ほどの川の写真ですが、ミミズ目線で考えると、魚目線とはまた違った川の存在が浮かび上がってくるような気がしませんか? ミミズにとっては水が流れている所はもちろんのこと、伏流水の流れる中央の中洲も「川」ならば、その向こう左手に広がっている草の生えた河原もまた「川」なのかもしれません。そして水中にいても陸地にいたとしてもある程度土中・礫中に潜って過ごしているとすれば、川が多少増水しても生活には魚ほどの影響はないのかもしれません。

これも先ほどの写真ですが、魚にとって中央の川原はデスゾーンですが、ミミズにとっては生息環境としての「川」でしょう。

つまり、魚目線で見る川に比べ、目に見えていない伏流による湿り気までを含んだ範囲がミミズにとっての「川」と言えるのではないか?と考えたのです。伏流を含めて川による湿り気の影響を受ける範囲が、ミミズにとっての「川」なのではないかと・・。

そう考えると、たとえば山中の苔むした岩清水滴る渓流なんかでは、もうミミズにとっては、その山全体が「川」なのではないかと・・そんなことまで思うのです。

よくわからなくなりました。・・が、この曖昧な「よくわからない」境界こそが、川本来の姿なのではないかと考えるようになったのです。

これは魚目線だけでは、あまり意識していないことでした。

サワガニやサンショウウオなんかは、山全体としての「川」の住人なのかもしれませんね・・。

 

で、ここで気になってくるのが・・こちらです。

そう、曖昧をなくした二面護岸河川です。

この場合、護岸という壁が「ハイ、川はここまで!」と明確に区切っております。

そうなると魚はともかくとして、山全体ですら「川」とみるミミズにとっては、やや特別な空間になっているような気がしています。

具体的にいうならば、食べ物の問題として。

なんとなく・・・ですが、ミミズの食べ物って、水中の底よりも陸地の土中のほうが豊富なような気がするんですよね。境界があいまいな「川」であれば、湿っている範囲でどんどん陸地のほうへと進んでもいけるでしょうから、川に入る時と陸地に上がる時があることは自然なことだと思います。

ところが垂直に近い護岸が建てられている二面護岸河川では、ほぼ水の中の川底でしか移動できないことになります。食べ物を求めて陸地へ・・というわけにいかないのです。

いや、もしかすると川底にも食べ物は豊富にあるのかもしれません。

でもやはり、こんな観察が、その可能性をなんとなく否定しているような気もするのです。

コケを食むために護岸を登る?ミミズ。

 

結局、あまりまとまりませんでしたが・・。無理やりまとめますと・・

①ミミズにとっての「川」は、魚にとっての「川」よりもだいぶ広い。

②ミミズは湿っていさえすればいいので、(水位などで)結果的に水中であろうが陸地であろうがかまいやしない。

③そんなミミズにとって、二面護岸の川は、まあまあ特別な環境なのではないか?

そして最も重要なことは・・

④ミミズを意識した川観は、魚を意識した川観とは異なる気付きを与えてくれる。

ということです。

まとまりのない長文へのお付き合い、ありがとうございました<(_ _)>。〈若林〉□

 

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