小さな池を見て、子供時代を過ごした。小さな庭の真ん中にある小さな池だ。

小学校の上がると同時に引っ越してきた時、そこに池はなかった。元々この家に住んでいた人に、庭の真ん中に「池が埋まっている」と聞き、父と兄と私で、まるでお宝をさがすように池を掘りだした。出てきたのはひょうたん型にコンクリートを張った、浅い池だった。池の背後には小さく溶岩が積まれていた。コンクリートをたわしで磨き、水を張った。そこにコイを数匹入れた。最寄駅近くのちょっとした街角の陶器屋さんで、金色やオレンジ色をした安い色ゴイが売られていたのだ。

庭の顔とも言えるこの池を、父は大切にしていたのだと思う。池の中央には灯籠付きの循環ポンプが置かれた。スイッチを入れると池の水を吸い上げ、こぷこぷと音を立てながら水が池に落ちた。そのくぐもったポンプの音を聞くのが好きだった。循環ポンプの掃除は私の仕事だった。

コイはしばしば近所の野良猫に狙われた。浅すぎたのだ。周囲に金網を張ったがダメだった。数が減るたびに陶器屋さんや釣り堀で飼ってきたコイを追加したが、ある時、思い立った父は、コンクリート粉と砂を買ってきた。

コイをバケツに移し、池の水を抜くと、父は中央部のコンクリートをかちわった。その下の赤土を掘っていく。兄は手伝っていたかもしれない、私はどうだったろう? ただ、掘った穴に合わせて慣れない手つきながらコンクリートを塗り固めていく父の姿は、なんとなく記憶に残っている。

池の中央は深くなった。これで猫にやられることもないだろう。レンガを汲み上げその上に循環ポンプを置いた。数日、アクを抜くために置いておくと、水が減っていた。素人仕事だからコンクリートの隙間から水が漏れてしまったのだ。また水を抜き、コンクリートを塗って、水を張る。それを何度か繰り返して、ようやく水位が安定するとコイを放った。ところが翌日、コイは全滅していた。コンクリートのアクが抜け切れていなかったのだ。その時の光景は今でも覚えている。

池が深くなると、野良猫にやられることも少なくなった。池の水は安定していった。私はコイの他に次々と魚を入れていった。魚は主に、ナンロク釣り園という、駅前にあった室内釣堀で飼ってきた。その釣堀ではコイや金魚を釣ると、1匹につき10円分の買物券と交換できた。釣堀には駄菓子のほか、コイや金魚、ミドリガメやザリガニ、イモリ、ウグイやオイカワやブラックバスやブルーギル、それに当時珍しかったティラピアも売っていた。釣堀で買物券を溜めて、魚を買っては池に放した。

バスやブルーギルを入れていた時は、少しだけ釣りもしてみた。慣れている魚たちはすぐに釣れた。でもすぐに「これは違うな‥」と思った。

最も長生きしたのはソウギョかもしれない。釣堀で買った時は20㎝ぐらいだったはずだが、最終的には60㎝以上には成長していたはずだ。最後は自ら池の外に飛び出して死んでしまった。

池で飼ったのは魚だけじゃない。アヒルも飼った。アヒルはどこで売っていたのだろう。それを見て、どうしても欲しくなったのは私だ。かなり粘ったのだと思う。都内の一軒家の小さな庭の小さな池に、二羽の黄色いアヒルの雛がやってきた。今考えると、結構めちゃくちゃな話だ。自分が親だったら、そんなことはしてあげられただろうか。

アヒルは普段、鳥かごに入れ、日中池で泳がせた。池に浮かぶ雛の姿は子ども心を満たしたが、想定外はアヒルたちの食欲、そしてフンの量だった。際限なく餌を食べては、池の中にどんどんフンを投下していく。瞬く間に池の水はフンで濁ってしまう。大きくなるにつれその循環は激しさを増し、ついに飼いきれなくなって、近所のデパートの屋上に作られていた鳥園に引き取ってもらうことにした。

子どもたちが家を出ると、循環ポンプも取り除かれて魚も減っていったが、池は庭の自然に馴染み、水もよかったのだろう。時折、金魚すくいなどで持ってきた金魚を入れると、とても長生きした。そして魚が産んだ子どもも育った。だがやはり、野良猫なのか鳥なのか、長い間に池の魚は減っていった。最後に一匹だけ、おそらくは金魚すくい上がりの真赤な和金だけが残った。

その和金はとてもよくなついていた。池のそばに立つと手からエサを食べるほどだ。同時に警戒心も持ち合わせているようで、長い間生き抜いた。

昨年、父は他界してしまったが、池に一匹だけ残った和金を眺めるのが好きだったと母に聞いた。父は長い入院の後、病院で息を引き取った。最後にもう一度、この池を見てほしかった。

父が亡くなった後、母はこの和金にだいぶ癒されてきたようだ。母にもとてもよくなつき「目がぱっちりしているの」とうれしそうに話していた。私は和金が猫にやられないようにと思い、覆いを作ろうとホテイアオイやヤツガシラを池に入れた。だが先日、雨の降る日に、和金はいなくなってしまった。母によると、見慣れない茶色の太った猫が池をジッと覗き込んでいたらしい。また、ここ数日、和金は浅瀬に出てくるようにもなっていたという。もしかすると覆いを作ったことで、和金は自分の安全圏を広げてしまったのかもしれない。

母からメールが届いた。父が池を見ながらよく詠んでいた一句だという。

池の中 金魚一匹 泳いでる

和金はいなくなってしまったのはとても残念だ。それでも私はこの池のある小さな庭が大好きだ。夏には蚊も多く、周囲はいつもジメジメしているが、池のある庭はとてもよい。ここ数年、やってくるというシオカラトンボは、今年も飛んでくるだろうか。母もしばらくは池を見るたびに寂しく感じてしまうだろうが、家族でずっと見てきた池のある庭を眺めながら少しでも元気に過ごしてほしいと思う。〈若林〉□