お盆です。アブラゼミとツクツクボウシが鳴いています。

さて今日は少し、ヒグラシについて書きたいと思います。

夕暮れにカナカナカナ・・と少し寂しげに鳴く、あのセミです。

涼しげでもあり、私はとても好きなんですよね、ヒグラシ。

 

さて、いきなりですが皆さん、「ヒグラシが鳴いている季節のイメージは?」と聞かれたら、どのように答えますか? 初夏ですか? 夏ですか? 夏の終わり? それとも秋の初めでしょうか?

私はひぐらしの季節は「夏の終わり」というイメージを持っています。

今年、私が初めてヒグラシの声を聞いたのは、8月10日でした。

暑い暑い埼玉南部の平野部から離れ、標高1200mちょっとの湖に取材に行っていた時の、15時過ぎぐらいのことでしょうか。短くもはっきりと大きな鳴き声を聞きました。そしてその時、「今年初めてのヒグラシだ」と思うとともに、まだお盆前だというのに「そろそろ秋だな」と感じたのです。

そのことを、翌日のX(旧Twitter)で、このようにポストしました。

「昨日は今年初めてヒグラシを聴きました。 夕方前の一瞬だけでしたが夏の終わりを感じました」

そして、このポストに対し、生き物に詳しいフォロワーの方から次のようなコメントをいただいたのでした。

「ヒグラシはニイニイゼミと並び、最も早くに鳴きはじめるセミです」

このコメントを見て、おや?っと思いました。ヒグラシはそんなに早い時期から鳴き始めているのかと、意外に思ったのです。

セミといえば、我が埼玉南部の平野部あたりだと、まず最初に小型のニイニイゼミが鳴き始め、ついでアブラゼミとミンミンゼミ、合間にクマゼミ、そしてツクツクボウシが夏の後半に加わってくるという印象。お断りをしておきますと、私自身はセミにそこまでの興味もなく、「あー鳴いているなー、夏だなー」ぐらいの感覚なので、かなりざっくりとした認知だと思います。そしてヒグラシはといえば、この辺りで声は聞けたっけな?というぐらい。

ただ、好きな渓流釣りに行きますと、夕暮れ前からヒグラシは結構大きな声で鳴いていますから、馴染みがないわけではありません。そして思えば、7月ぐらいから、渓流釣りに行けばヒグラシは聞いているはずです。さらに言えば、私がこれまでで最も印象深かったヒグラシの大合唱を未明の午前3時に聞いたのも7月でした(半ばだったかと思います)。周囲のセミが共鳴し、まるで一つの生命体から発せられているような、うねるような大音量に包まれ、軽い恐怖と感動を感じました。

つまり、ヒグラシの声はこれまでも7月ぐらいからは聞いていたのです。

それでもやはり、私の中のヒグラシのイメージは、お盆過ぎの夏の終わりなんですね。果たしてそれは、なぜなのか?と考えていました。

そして近い家族2人にヒグラシでイメージする季節を聞いてみたところ、ともに「夏の終わり」という答え。このようなイメージを持っているのは、自分だけではないようです。

先のX(旧Twitter)で、コメントをいただいた方は、次のような理由を考えられているとのことでした。

「ヒグラシが鳴き始めるのは他のセミより遅いと思っている人がなぜか多いです。ヒグラシが鳴き始める時期はまだ日の入りが遅く、多くの人は鳴く前に家に帰ってしまうことが多いから気づかないのではないかと思っています。」

確かに、なるほどな話です。調べてみますと埼玉南部あたりでは、7月の日の入りは、だいたい19時ぐらいなんですね。それがお盆を過ぎる頃(8月15日以降)になると18時半ぐらいになるわけです。人の生活リズムに合ったタイミングで鳴く季節ほど、多くの人の印象に残っている、というわけです。一理あります。

ネットで少し調べてみると、ヒグラシの季節を「夏の終わり」と認識している人はポツポツいるようでした。その理由には、カナカナカナ・・という物悲しい鳴き声、もしくは涼しげな鳴き声が秋の訪れを連想させるから、というものもありました。これもまた一理ありますね。

ちなみに俳句ではヒグラシは初秋の季語、なのだそうです。現代の気象庁の予報用語の「秋」は9〜11月であり、となると「初秋」は9月になるかと思います。ただ、暦の上で秋の始まりを表す「立秋」は現在、8月初旬(今年は8月8日だそうです)であり、俳句の季語は、そのほうに習っているとも思われますので、そうするとヒグラシは「初秋」の季語であるとはいえ、実際には「8月初旬」の季語なのだと考えられるのではないでしょうか。

話が少々、ややこしくなってしまいました。

私個人の話に戻しますと・・

・ヒグラシが7月から鳴いていることは知っている

・でもヒグラシのイメージは夏の終わりである

・そして身近(埼玉南部の市街地)ではあまりヒグラシの声を聞かない

となります。そして私が今のところ、なんとなく思っているのは「セミの鳴き声の印象は原体験による」のかも・・ということです。

私の田舎は栃木県栃木市で、幼少時には毎年お盆の頃になると、家族で1週間ほど帰省していました。東京23区近郊で生まれ育った私にとって、もしかすると実家の周りではあまりヒグラシの声は聞いていなかったのかもしれません。ヒグラシの声を聞いて思い出すのは、お盆で栃木の田舎に帰った時に聞いた原風景・・であるような気がしています。

おそらく栃木でヒグラシは、7月にはすでに鳴いていたことでしょう。ですが、私がしっかりとヒグラシの鳴き声を聞くタイミングは、毎年のお盆の帰省のタイミングだったのではないかと思うのです。お盆を過ぎると季節は一気に秋めいてきますよね。ヒグラシの声を聞きながら、その季節変わりをなんとなく感じていたのかもしれません。

ただ、おそらく大人になって、ヒグラシがたくさん鳴くような土地に引っ越したりしていたとしたら、栃木の原風景とヒグラシとの結びつきは弱まっていったことでしょう。それとともに「夏の終わりのヒグラシの印象」も失ったかもしれません。記憶の「保存」には、それなりの法則性があるのです(過去ブログにも似た話を少し書いています。よろしければご参照ください。【ミミズの記憶】)。

そんなことを思いながら、一昨日でしたでしょうか。近頃カブトムシの死骸を観察している近所の川っぷちの段丘崖に、この日は15時ぐらいに足を運んでみましたところ・・。

斜面地の雑木林から、カナカナカナ・・・。

かすれたヒグラシの声が聞こえてきたのです。

いつも観察は午前中ばかりだったからかもしれません。

聞いていながら聞こえていなかったのかもしれません。

もしかすると鳴き始めたばかりだったのかもしれません。

改めて。私がフラフラしながら一人楽しんでいる自然体験は、あくまでも「個人体験」なのだなぁ・・と感じたひとときでした。〈若林〉□

 

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