詩人であり画家である辻まことさんの「春の渓流」という詩が大好きです。
私は岩魚を釣る。しかし岩魚を釣る目的だけで春の渓流へ出掛けるのかと、もし質問されるとしたら、そうだ――とは答えられない。
この一文から続く散文詩には、私が(特に渓流)釣りをする理由の最も大きな部分が集約されています。
簡単にいうと・・いや、もともとがとても簡単に書かれているので、よけいに簡単には言わないでおきますね。 辻まことセレクションⅠ山と森(平凡社ライブラリー)に収録されていますので、興味のある方はぜひご一読ください。
その「山と森」に、もうひとつ、とても好きなエッセイがありまして・・・。
岩魚の岩太郎――ボクのタカラモノ というエッセイです。
ようは三日がかりで釣りあげたイワナを木彫りにして「岩太郎」と名付けた、という話なのですが、辻まことさんがその岩太郎を手にしている写真に私、ヤラれてしまったんです。
で、自分の岩太郎を作ろう!と思いたったのが2年とちょっと前の暮れのこと。 そして、その年に釣れた最大のイワナが私の「岩太郎」となったのです。 MY岩太郎。
ガングロで傷だらけ。なかなかな面構えでしょう。 全長29㎝。 こいつは撮影をした後に潜んでいた岩の下に逃がしてますから、写真から寸法を測り、できるだけ忠実に木彫りで再現しようと試みました。 材木は栗です。
画家である友人の成瀬洋平さんのお父さんが岐阜県の阿木でやられている木工家具工房の灯工舎で端材をいただき、一本の平刀ノミで掘り出すぞ~!と始めたんです。
カリカリカリ・・と一刀ずつ削り出す感覚はとても心地よいものです。 木目には順目と逆目があって、順目だとスーッと彫れるのが逆目だとガツガツッと引っかかっちゃうんですね。 つまり、削れる所とうまく削れない所があるんです。でも削れない所も削れる所を削っていくうちに、削れる角度が現れたりして・・。パズルのように崩していく感覚がとても面白いです。 積んだ麻雀牌を崩していく「上海」というゲームに似た感覚です。
効率よりも、一刀一刀を大切にしたい。 なんてことを思っていたので時間がかかるのはよいのですが・・
気付くと2年も経ってました。
いや、正確には、もうどうにも彫る所がなくなってしまい(つまり上海で言えば詰まれた状態)、半年ほど机の脇に置いたままだったんです。
さすがにこれはいかんと。
私は私の岩太郎を最後まで彫りださねばならないのだと。
そう思いまして。
このたび万力とハンマー、そして浅めの丸刀ノミを購入しました。
びっくりしたのが丸刀ノミ。 ハンマーなど使わずとも、平刀では入らなかった木目にすいすい入ってカリカリ・・と気持ちよく彫らせてくれるんです。
で、
こちらが私の岩太郎の現在。
どーです!
いや・・まだまだです。 まだまだなのですが・・
もうちょい?な気もしています。
完成したら、またお披露目させてください。□ (2016年秋、完成予定) |
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