今日は春一番。 暖かな爆風が吹いています。 これはもしや!・・と思い、やはり川へ。 予想は外れ、何もなし。 ファットランを期待したんですけどね。 ‥あ、ファットランと言っても「PHaT RUN」じゃありませんよ! 期待してたのはこちらです。 こちら2018年2月21日の様子。ファットさん(太ったコイ)がハタキ(産卵)をするために集まってくる、いわば産卵遡上(RUN)です(参考までにこちら過去ブログ【ファット・ラン】をどうぞ)。 春一番も半月ほど早いとのことですし、このタイミングでくるんじゃないかなーと思ったのですが。このところ河川の土砂さらいの工事が入っているためか、川には強い濁りが入ってました。 ファットランがまだなのを確認し、帰り際にはタヌキやイタチの足跡がないことも確認。 因果関係は何とも言えませんが、とりあえず「2日後」の本日は、新たな足跡はなし。 いったい何の2日後? なのかと言いますと‥。 ああ‥。一本残らず。 元々少ない川辺の木が、伐り倒されてしまったのでした・・。 年輪を数えると5歳ぐらい? ちなみにこれは数日前に、焚き木をとるために枝を狩られた、上のヤナギ。この木陰は川沿いの数少ない日陰で、カモの休憩場所になるほか、キジバトやイソシギ、ハクセキレイ、ヒヨドリなどがエサ場として利用してました。 そして夜間はタヌキやイタチの導線に(左に見える木が刈られた木です)。 夜間と言えど、木々の茂みを伝って移動しているようです。足跡が多いのは、決まってそんなところ。 残念かと言えば、私的には残念ですが、おそらく相応の理由があるのでしょう。 台風19号以来、大水時に対してしっかりと水を湛えて流す「水路」としての役割が、見直されているように思います。 川辺にポツンとある木はきっとじゃまなのでしょう‥。 一方、確かなことは、目に見える範囲だけでも、実に多くの動物たちが利用しているということ。それがなくなると、どうなるのか‥は、なかなか目には見えづらい気がします。 このところ、この川で撮影した生きものたちの写真を整理していたのですが、こんなにもよくまあ撮ったものだと思いました。「景観」や「広場」として見られがちな都市近郊河川ですが、水場には思いのほか多くの生きものが棲んでいます。 こんな写真を撮っているぐらいですから、当然、私には愛着があるんですね。この川に集まったり、この川で暮らしている生きものたちに。 毎日のように散歩しながら観察しはじめたのは、ここ4年ぐらいのものですから、その時から生えてはいたのだと思います。 ちょっと写真を掘り返していたら、3年前にオオタカがコサギを襲ったのが、まさにこの木の茂みの辺りでした。 なので、私にとっては当たり前のようにあって、特にこの頃はタヌキやイタチの足跡を気にしていた場所だったので、ほんの半日ほどの間にガラリと一変してしまったことに、戸惑いを感じざるを得ませんでした。 ですが一方では、こんなことも思ってました。 刈られた木の切り口が汚れて目立たなくなるぐらい時が経てば、それがまたひとつのこの川の当たり前の風景になっていくんだろうなと。案外、それは早く訪れるのだろうと。 ちなみに10年前は、夏場この川で泳いでました。決して水質がよかったというわけではなく、それでも見た目の自然度がよかったので泳ぐ気になったのでしょう。でもその頃の良さはもう忘れてしまった。そんなに変わってもいないのかもしれません。失ってしまったものは、早ぎ足で忘れられていくものですから‥。 なくなってしまったものは、なくなってしまったことが、まあまあ普通になってしまうんです。人の気持ちの常として。 私もすでに2日前の気持ちは忘れてしまいました(早ッ)。 ただ、一本の木がなくなることによって、その場から退場している生きものがいて、それらの退場にはなかなか気づくことができないのも事実でしょう。 人の気持ちとは無関係に。 〈若林〉□
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